ものごとをやる時、決める時に、それは誰のため? と、前はよく自分に確認していました。
私は元々、ひじょーーーーーに自分に自信がなく、いや、自信がないどころかバリバリの自己否定人間でしたので。(今でもありますよ、前ほどじゃないにしろ)
だから多分、同じような過程にある人のことが気になるのだと思います。
ものごとをやる時。決める時。
私の中にあったのは、『どっちを選んだら【褒められる】だろうか』ということでした。
自分の希望は二の次。二の次以前に、自分の希望は褒められることと一体化していましたからね、自分の希望ややりたいことなんて、全く見えていなかったと断言します。
あ、褒められる、というのも必要なんですよ。そうやって少しずつ自信をつけていけますからね。特に小さい頃はね。
でも、大人になっても誰かに褒められたいから何かをやる、というときは、その裏に何かあるかも、という事です。
厄介なことに、半ば依存のように、無意識でやっていることも多いと思います。
例えばいつも『人のために』と言って行動している人が居たとして、その裏には『人の役に立たなければ自分には存在する価値がない』という、根深いものがある可能性もあるのですが、それを(やんわりと)伝えても、まず伝わりません。
こちらはその人が同じ事を繰り返す原因が見えるのでそこをわかって欲しいのですが、どうしても伝わらないので、最近は、いくら『ここ』というものがわかっても、ある一線以上は何も言わない選択をしています。
それは私の価値観でしかないから。
『いくら同じ事を繰り返しているとしても、その人はそういう人生を選んでいる』とも言えるのです。
自分の人生をどういう風に生きるのかはその人の権利であって、その人以外の『他人』が決めることではないんですよね。
『前に進もうよ』という価値観があるように、ある人にとっては『その場でグルグルしたい』というのが潜在的な望みであるかもしれず、そうなると、アドバイスは出来ても、それ以上の事は余計なお世話になるんだなと思うのです。
でもね、上手くいかないなあと思うのなら、時々立ち止まって考えることは必要かなと思います。
『これは、自分のためか? 人のためか? 誰かに認められたいからか? 誰かに褒められたいからか?』
要らないエネルギーが溜まりに溜まっていると、曇ったメガネのように自分が見えないものです。
エネルギーデトックスワークも、自分を見つめる一助として活用して頂ければと思います。
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