~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
かつて管理職をしていた頃、こういう仕事をしている私ですら、責任を取りたくない人の存在が増えているのを肌で感じて辟易したことがありました。
自分ではない、誰かに責任をとってほしい。
責任、というのとは少し違うかもしれない。
自分は決断をしたくない、というのが近いのかも知れません。
自分の決断が誰かの未来を決めるかもしれない。あるいは、決断しないことが誰かの未来を決めるかもしれない。
そしてその責任は、「誰か」ばかりではなく、決断をした、あるいは決断をしなかった、「自分」に及ぶかも知れない。
それは、おおらかでなくなってきた、些細なことも需要されなくなってきた、失敗が許されなくなってきた、あるいは『自分とは違う存在』を攻撃することが激増してきた、今の世情を反映しているのかも知れません。
そりゃそうです、誰だって攻撃なんてされたくはないですから。
しかし、責任を取らない、自分で決断しないというのは、たしかに楽かも知れないけれど、結果自分の頭で考えることの退化に繋がるのではないかとも思うのです。
そういえば、中学生の頃読んだ星新一さんの小説で、朝起こすのから歯磨きから着替えから何もかも全て機械がやってくれる社会で、とある男性が出社する(当然送り迎えもやってくれる)んですが、実は何時間も前に死んでいた、という話を思い出しました。(細かいところが違っていたらすみません)
当時は、「えーー、ありえないー!」と思いながら読んでいました(だからこそ面白く読めたのです)が、なんだかこんな将来も全然あり得ない荒唐無稽な話でもなさそうで、すこし背筋が寒くなります。
自分の頭で何も考えず、何も決めなくても進んでいく日常。
それは、便利なのかも知れませんが。
楽なのかも知れませんが。
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