~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
提供者になる前からのあるある。
正しくは、【本当に読んで欲しい人は、「見ている」としても自分のこととして捉えられない】と言ったほうがいいかも知れません。
私は記事を書くときに、自分の気付きや感情の変化を残したい時も多いですが、誰かに向けて書くことも多いです。
全く架空の相手であったり、クライアントさんであったり、ブレスを持っている人だったり、「読んでくれるといいな」という相手に向けてだったり。
が、気づいてほしいな、と思っている人ほど、全く気がつきません。見ていても文字通り「目で見ているだけ」です。むしろ想定外の人、全然それに当てはまらない人、メッチャ出来ている人の方が「私のことか?」と思ったりする。(それはそれでいいのですが)
こういうとき、『人は、見たいものしか見えないのだな』と痛感します。
それもまたその人の選択です。
口ではなんと言っても『自分はこのまま変わりたくない』という本心があるからこそで、『更には『行動を見れば100%その通りである』のが明確なので、エネルギーを注いだ以上に枯渇する事になります。
本当に、全てはその人の選択なんだなと思う事が多くなって来ました。
私が出来ることは、私の責任において出来ることだけなのだなと。誰かのために、などというのは、全くおこがましい事だったのだなと。
自分のエネルギーが枯渇していたら、誰かを助けることなど到底出来ませんわね。
それどころか、枯渇した分のエネルギーを誰か自分よりもエネルギーの大きな人から(無意識に)(そして半ば強引にすら)受け取らねばならなくなります。
だから、人のことよりもまずは己なのですよ。
己がしっかりと立てずして、どうして他人を支える事ができますか。誰かを救いたいなどという台詞は、自分で自分を支えることが出来て言えることだと私は思うのですがね。
(物理的に足で立て、とかということではないですよ)(←こういう事すら、いい歳でも、書いておかないとわからない人もいるのでね)
そしてこの記事も、本当に落とし込んでほしい人には、目に映ることはあっても単にそれだけなんだろうなー、という諦めもあります。
変わりたくない、というのがその人の潜在的な願望なのだから、もう他人がどうにかできることではありませんわね。
まあでも、書き残しておけば、誰かそのときに必要な人に刺さるかも知れないので。
それでいいか、と書いています。
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