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エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

自分を救うものは自分の外(そと)には無い

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◆プロフィール◆ - Harmonize 

~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~

 

 

「これを信じて

これを厳守し

この通りにしていれば

幸せになるよ。

これをやらないと、

これを厳守しないと

不幸になるよ。」

 

 

その人にとっては「それがいいに決まっていることは間違いない」と信じているからこそ、そのルールから外れることを恐れるし、それに依存するし、自分以外の人にも強く勧めようとしてきます。

 

あるものを盲信している人には時に見られることですが、この心理はなにも、何かに盲信している人に限った話じゃありません。

 

 

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何を基準にすればよいか。「いいか悪いか」を使っていますが、便宜上使います。

 

 

 

『自分の感覚がなんと言っているか』

 

 

 

これに尽きると思います。

 

 

とはいえ、私たちは物心ついた頃にはすでに

『いいか悪いか』

『○か×か』

『正しいか間違っているか』

『褒められるか怒られるか』

などの2極で物事を考え決断し行動するように躾けられてきましたから、

『自分の感覚』

というものがよくわからない、という人も多いと思います。

 

中には、『はいかイエスか』という、非常に苦しい選択しかできなくなった人もいますね。

 

それでも自分の感覚が戻ってくると、

『感覚として気持ちが悪い』

『モヤっとする』

という、何とも口では説明できないものがわかってくるようになります。

 

気持ちが悪いとか、モヤっとするというのは、自分にとって『違う』というサインだと捉えていい。

 

問題なのは、その『自分としての感覚』が退化している場合は、その気持ち悪さやもやっと感もわからないということ。

自分では自分の感覚だと思っても、実はこれまでの「2極で捉えたフィルター」を通した感覚であったということ。更にはそれに気付かないということ。

 

フィルターを通した感覚であれば、それはフィルターを通した、これまでとなんら変わらない判断であるということです。

 

では、退化してしまった自分の感覚を取り戻すためには。

 

 

どんな小さなことでも、『自分はどちらを好むのだろう』『どっちを選択した自分が好きだろう』というところから選ぶことです。

 

値段とか、世間の評判とか、これまでの経験とか、そういうのを一切入れないとしたら、自分はどっちを選ぶ方が自分の好みだろう。ということです。

 

どちらを選ぶ、どの方向を選ぶ、どんな仕事ぶりを選ぶ、この人とどんな付き合いかたを選ぶ、そんな全てにおいて、自分はどっちの自分が好きだろうか、気持ちがいいだろうか、ということ。本当に小さいことから積み重ね続けること。

当然一朝一夕にはいきません。それでも、退化した感覚を取り戻すためには、そこからだと思います。

 

嫌な目に遭わないために

ではなく、

幸せになるために

です。

 

そのためにも『曇ったメガネ』ではなく『クリアなメガネ』をつけている事は有効で、

 

エネルギー的に大きな助けになるのがエネルギーデトックスワーク です。

最後はワンデーセミナーの宣伝です。

 

12月17日日曜日、綱島にて。

 

 

 

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親と、その親の心を思う

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うちの父は九州のはずれの方の出身です。

先日、電話がかかってきて、たまたま夜勤明けでそろそろ寝ようかという時だったので即出ました。(寝てたら起きれなかった)

 

『田舎行った時、ばあちゃんから"つのまき"って作ってもらった?』

『(つのまき…初めて聞くな)いやー、覚えがないよ』

『田舎から今届いて、冷蔵庫にもう入らないから今から持って行くから!!』

『え? いや、だったら明日取りに行くよ! (明日は明け休みだし)』

『冷蔵庫がいっぱいでもう入らないんだよ!! 今から行くから!!』

『(言い出したら聞かないんだよな…)ハイハイ』

 

私の猪突猛進気質は父譲りらしい・笑

 

 

実家の冷蔵庫はめちゃ容量があります。うちの冷蔵庫の倍以上軽くあるのね。それがいっぱいになるほどの量ってどれだけ送ってきたの? うちの冷蔵庫小さいんだけどなー…まあ、冷凍庫があるから大丈夫だけど…と心配していたら、30分ほどで到着した父。

 

どんだけの量? と思っていたら…

ちんまりと片手で持ってました(内心で爆笑)(ダンボールで持ってきたらさすがにどうしようかと・笑)。

 

開口一番が

『ばあちゃん、田舎行った時作ってくれなかった?』

と、同じ事を。

物を見ながら

『いやー、作ってもらってないなあ』

と…事実初めてみるものです。

 

ちょっと休んでいけば、というのに、食べ方を説明して(砂糖をまぶせばいいだけ・笑)さっさと帰っていきました。

 

これがつの巻き。

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(↑さとふるさんよりお借りしました)

 

これとは別に「あくまき」というのがあって、私はこれがとても好きで、鹿児島物産展を見かけると必ず買います。でも最近は物産展でなかなか見かけなくなったんですよね…。

独特の風味があるので、好き嫌いが別れるのかも知れませんが。

 

↓あくまき

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父が『ばあちゃんが作ってくれなかったか?』

と言ったのは、私が小学3年生の時に1人で行った時のことを言っています。

次に行ったのは小5でしたが、この時には家族で行ったし、祖母は施設に入っていましたので、何かを作れる環境ではありませんでした。

私が田舎に行ったのはそれが最後です。

 

 

『ばあちゃんが作ってくれなかったか?』

ということは、中学卒業後、父が田舎を単身で出るまで、きっと祖母は度々「つのまき」を作ってくれたのだろうなと思い至りました。

 

父にしてみれば今は亡き母の味、故郷の味なのでしょう。冷蔵庫に入りきらないというよりも、この母の味を一刻も早く私に味わって欲しかったのだろうな。賞味期限の問題もある(絶対日持ちしない)でしょうが、翌日に私が取りに行く程度は問題ないはずですから。

 

いつ何があってもおかしくない年齢になりつつある父にしてみれば、『次に送ってきた機会に』というのは、もうなかったのかも知れません。その『次』の時には、父は居ないのかも知れないんですから。

 

これを幼い日の父に、少年の頃の父に作ってあげていた祖母の心を思います。

もう私は祖母の顔もはっきり思い出せないのですけど…ただ、小さくて優しい人だったのはよく覚えています。湯呑みにカルピスを入れてくれました。

 

こういう食べ物ひとつにも、親の思いって受け継がれて行くものなんだなあと思います。

 

私はどうだろうな。

何か、私が死んだ後になっても『コレコレ!』と息子たちに思い出してもらえるものが、何かあったら嬉しいですね。

 

 

 

 

 

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2023年11月

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さて、今年もあとひと月となりました。

11月は誕生月なのですが、そう言えば私にはこの数年、毎年のようにあった

『誕生月前後は荒れる』

というのが無かった。

あー、例の感染症にやられたのはあったけど、あれって9月の頭だったし。誕生日前後という感じじゃ無いわね。

私の誕生月前後にしては随分と落ち着いてたなあ。なんでだろう。

…なんて、思い当たることはあるんですけどね。

 

 

 

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さて、今月はなんと言ってもドヴォルザークを聴きに行ったことがもう最高&最高でした。CDで聴くのとは訳が違うあの臨場感、あの音!! 思い出しても…ていうか、あれは思い出せるとかいう代物じゃ無いなあ。聴くというより、もう体感に近い。

 

このドヴォルザークが、初夏に用意した自分への誕生日プレゼントの第一弾で、第二弾もあります。こっちは来月ですがやはり初夏に用意しました。

もーー、こっちもメチャメチャ楽しみなんでございますよ。

そうそう、それから希望を出したわけでも無いのに、丁度誕生日前後でなんと三連休がついていたという、この素晴らしい偶然。今の病院に入って三連休なんて初めてだったんですよ、実は。(1回あったけど、急な勤務変更で無くなった)

上司が誕生日に合わせて休みをくれたなんていう話は聞かないから、ほんとに偶然なんだと思います。

なんだか妙に嬉しかった。どこかの誰かから「お疲れさん」と労ってもらったみたいで。

 

そして今月は、仕事が楽しいと実感することの多い月でした。

随分前、かつて(別の病院で)主任をしていた頃が1番楽しく仕事をしていたんですが、その頃と同じような。

こういう仕事だから、勿論大変な事も多いしキツイ事も多いです。でもそれと楽しいっていうのは全く別なんですよね。

 

 

そんな感じで、色々やりつつも比較的穏やかに過ごしたひと月でした。色々やってる成果が自分でわかるくらいに出てくるのは、多分まだしばらく先だろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

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車のキーの電池交換

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2週間前くらいかな。

突如こんなマークが点滅し始めた。

キーのマーク。何秒かすると消えるんだけど、エンジンをかけると必ずついてる。

加えて、別の日にはドアロックする時に反応しないことが。

マークがキーのマークだし、ロック解除に反応しないということは、コレって電池切れかかってるんじゃないか?

と、やっとわかりました。

 

そういえば、車を買った時に電池のことを言われたような気もする…。自分で車を買うのは初めてだったので舞い上がっていて、そんな先のことは優先順位が下の方だったのねw

 

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もし完全に切れちゃったらどうするの?

キーはスマートキー(っていうの?)に格納されてるけど、運転席にはキーを差し込むところがないよ?

買い物に行って帰りにドアが開かなくなったらどうするよ?

 

みたいなことを考えると、休みの日でないとディーラーにも行けないので、自分で電池交換することにしました。

こういうヒヤヒヤが続くのも鬱陶しいし。

YouTubeに動画も上がってて簡単そうだったし。

 

電池代1000円と少しで、出来ました。

 

マイナスドライバー持ってなくて(息子にあげちゃってから買ってなかった)、何で代用しようかと探してみて、使ったのがホッチキスのお尻についてる平べったいアレ。

 

ガチっと上手く入ったものの、思ったよりしっかりと閉じられていて、少しずつずらしながらツメ? を開けていきました。

パカっと開いたらあとは向きを間違えないように入れ直して、蓋を元通り閉じて終了。閉じるのも結構固かった。

これで、あのマークも点滅しなくなるはず!

 

 

近いうちに絶対ドライバーのセット買っとこう。

 

 

 

 

 

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車を運転していて思う。なんか変わってきた?

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特に車を運転していると思うのですが。

 

なんでここに止める?

なんでここで突っ込んでくる?

なんでここで止まらない?

なんで堂々と信号無視する?(←交通量の多いバイパスで!明らかに信号無視とわかっててやっている)

 

…みたいなことが増えているなあと。

 

運転歴はそこそこ長いですが、こんなに『まじか!』と思わされることが多いことはかつてなかった気がする。

 

そりゃーありましたよ。前から、そういうことは。感覚が自分だけが中心な人というのはいつの時代もいますから。

ひやっとする事も、ムカついた事も、

『オイオイ、なんで入ってくんだよ、10秒くらい待てねーのか! 下がれってか!? オメーが下がれや!!』←下品w

的なこと、車を運転する人なら普通に経験していますよね(笑)

 

でもこんなに年中出くわすことはなかったなあと思うんですよ。以前は譲り合い出来る人が今よりもっと多かったのかな。

 

 

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人の質が変わってきているのか、そういう目で見るから余計に目につくのか。でも確率的に上がってるような。

 

どう考えてもそこは突っ込んでくるタイミングじゃないでしょ、と思うところで突っ込んでくるのを当事者として出くわすところもあれば、後ろを走っていて「信じられんわ…突っ込まれた車が気の毒…」と唖然とする事もある。

 

そういう人が増えてきているのだ、と知りながら日々運転するのが最善の対処法なのかも知れないな。

 

 

 

でも信号無視はやめてほしいね。

それでその人だけが事故るなら、○のうがどうなろうが自業自得だけど、周りを巻き込むんだからね。

 

 

ドラレコの操作、説明書なくても大丈夫なようになっておこう。

 

 

 

 

 

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その感情を感じちゃいけない! その1

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『あまり感情を出さないよね』

と、それぞれ別の人から言われる事が最近妙に重なっていました。

怒ったところを見たことがないとか、怒ったところが想像できないとか、喜んでるの?とか。果ては「あの人と、実は仲悪い?」とか。

はじめは「いや、怒ることあるし」「喜んでるし」「えー、別に普通に話してるんだけどな…」

「全然そんなことないのに、なんでそういうふうに見るんだ?」

と、内心反発もあったのです。

 

自分にはこれが普通だと思ってきたので、それを『薄い』みたいな言われ方をする謂れは無いぞ!! みたいな。

 

が。妙に異口同音に続くので…さすがにこれはスルーするには引っかかるなと。

 

要するに、そう見えているという事は、無意識のうちにそう見せている、という事でもありますから。周りは「見せているように受け取っている」んですね。

もちろんそこには、受け取る人が持っているモノの影響も受けるわけですけど。

ただ今回の場合、「別の人に同じことを何度も言われる」ので、私が見せている、というのが大きいかなと思った次第。

 

はい、そうかもね…と認めることにしました。

実際あまり感情が出ない(出せない?出し方がわからない?)、という自覚は薄々ありましたので。

これだけ何度も別の人々から指摘が入るという事は、自分自身を含め、何処かからのお知らせでもあるのでしょう。

 

多分、というより十中八九、私は

「外に出す」

という手段としての“線"がとても細いんですね。

 

喜怒哀楽の幅というか、それを表に出すハードルがとても高いのでしょう。

職業柄なのかもしれないと思ってもみたけれど、いやいや、そんな事はない。

 

 

 

これにも書きましたが、

 

私は小学校の1〜2年生くらいまで、とにかくものすごい泣き虫でした。

よく覚えているのが、ウシガエルの声が恐ろしくて、外から走って泣いて帰った事。そのほかはどうしてそんなに泣いてばかりいたのかは覚えていないんですが、とにかく年中泣いていた記憶はしっかりとあります。

今と違って、感情を涙という形で出すハードルが、メチャクチャ低かったのだろうな。別の言い方をすると、泣くという形で出すのが最も負荷が少ないものが何かしらあったのでしょうかね。

 

でもそれは大人からは嫌がられることでもありました。

 

泣くと怒られたし、何より子ども心にショックだったのが、よく泣くことで幼稚園の担任の先生からあからさまに煙たがられたこと。(子供って、大人が思う以上に大人の態度をよく見ているのだ)

 

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ここから大きな精神的ショックの話になりますので、ご注意ください。

 

 

 

 

小学生の頃、可愛がっていた手乗りインコがいました。ピーちゃんと呼んでいました。雛から餌をあげて育ててきました。

本当に可愛くて可愛くて、あの羽毛の優しい肌触りと匂い、お喋りする鳴き声、呼ぶとパタパタと音を立てて走ってくる姿を今でもよく覚えています。

 

 

そのピーちゃんが突然死んでしまいました。

 

 

祖父母宅で飼っていた犬に食い殺されました。

ある日学校から帰ってきたらどこにもいなくて、そう聞かされました。

 

 

 

突然の別れ、しかもそんな残酷な死に方をあの子がしたと思うとたまらず、泣いていたらやはり怒られました。

「畜生だからしょうがないんだ」(畜生というのは犬のことです)

「いつまで泣いてるんだ、いい加減にしろ」

と、もっと激しい言われかたで。

 

雛から可愛がって世話をしてきた、私にとっては家族同様の、大切な大切な子でした。

 

かわいそうで、悲しくて、寂しくて、…憎くて。

その瞬間のあの子の痛みや恐怖、一生懸命逃げたであろう姿。

まざまざと見えるようでした。

 

私はあの子が死んだ瞬間も、そんなことなど思いもせずに、いつもと同じように学校で過ごしていました。

 

 

 

あの子が死んだのは(あの子を手乗りになんてしてしまった)私のせいだと思いました。

 

 

可愛がってくれる存在しか知らなかったあの子は、自分を害するものがいるなどとは思いもしなかったはず。

手乗りでなかったら飛んで逃げる事ができたのに、そのための翼がちゃんとあったのに。

 

そして、何より苦しかったのは、その「食い殺した犬」のほうも、私はとても可愛がっていて大好きだったことです。とても利口でおとなしい、穏やかな目をした雌犬でした。

 

大好きだったものが、もうひとつの大好きなものを殺したんです。

 

今だから冷静に当時の自分を見る事ができますが、当時はとにかく感情がグチャグチャでした。

仇を打ちたいと思った。その犬を殺したいとも思った。でも、その犬もまた私には大切な存在で、実際には何も出来ようはずがなく。

 

泣きながらその犬のところへ行くと、いつものように尻尾を激しく振りながら顔を寄せようとしてくる。

 

この口が。

 

そう思ったら、いつものように舐めさせることなど出来ず、「どうしたの?」とでも言うように何度も掛けてくる前足を、石ころで弱く叩き続けました。

 

 

 

 

後日、その死んでしまったインコへの気持ちを詩にしたものを、クラスのやんちゃな男の子がふざけて内容を弄って読み上げました。

それを、怒る事もせず先生までもが笑った。

私はそれに対して、抗議することも、怒ることすらも出来ず、そんな自分がまた許せなくもあり、そんなふうに下に見られる私も許せませんでした。

 

 

大好きなものをいきなり同時にふたつともなくし(私が"それまで好きだった"利口でおとなしい犬は、もういない)、失って泣くことを否定され、精一杯気持ちを表現したものは馬鹿にされて笑われ。

 

小学3年生、9才の経験でした。

 

不思議なのは、こんなに詳細に思い出せるのに、これを長い間忘れていた事です。

 

 

 

私にとって泣く事とは怒られる事、嫌われる事でした。

子供にとって怒られる事は悪い事です。だから泣く事は悪い事でした。

悲しいとか、寂しいとか、かわいそうとか、怖いとか、憎いとか…そういう「泣くもとになる感情」も、だから悪い事でした。

 

感情を出すことが悪いことであり、馬鹿にされ舐められるとなれば、自分を守るために、舐められないために、あるいは悪いことをしないために、感情を出さずに溜め込むようになるのは自然なことだったと思います。

だから小学3年生からは、幼稚園から1、2年生までは通知表の通信欄に必ず書かれていた『泣くことが多い』という評価が消えたんですね。

 

自分の中で「かつての自分だったら泣いても仕方がないような感情」は無いものとなり、無いものだから認める事もない。

でも実はありますから、しかもとても大きなものですから、あるということを知らせてくるようになります。

『裏切りがもとで(同時に二つのものを)失う経験』

も、繰り返すようになります。

今なら、全部同じ根から生えてきたものだったとわかりますけどね。

 

出てくるものは、至極当たり前ですが出るために出てくるということです。

出てくるものは出す。

小さいうちに、単純なうちに出していれば、暴走する事も拗れる事も、(少なくとも今生に由来する事であれば)無いんです。

この当たり前のことが出来れば、誰でもずっと生きやすくなるだろうと確信しています。

 

そんなわけで、私がこれを書いているのも、別にトラウマを癒すとか自分を許すとか、自分を認めるなんて事ではなくて、シンプルに

『"出す"という線を鍛えるため』

に他なりません。

 

 

なので、気まぐれに続きます。

 

 

 

 

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ドヴォルザークに大満足

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先日、

ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」

のコンサートがあったので行ってきました。

 

子供の頃からクラシックが好きで、小学生の頃、音楽の時間にたまーーーに先生がかけてくれるクラシックのレコードを聴くのが楽しみな子供でした。(同級生はみんなつまらないと言ってたので、好きだとは言えなかったけど)

 

大人になって子供の手が離れ始めてから、オーケストラとか吹奏楽とかオペラとかたまに行っていたんですが、ここ数年は色々面倒なことが目について行っていなかったんですよね。

 

本当に超久々に行ってきました。

 

指揮は西本智実さん。女性の指揮は初めてでしたが、よかったです。男性の指揮は安定感というかどっしりとした感じがありますが、西本さんの指揮は凛々しく鋭かった。

 

 

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前半は、ドヴォルザーク チェロ協奏曲。チェロ:堤 剛さん。

この人のソロが始まった途端に、良い意味でざわざわっとした。パワフルとか圧倒されるとかそういうのじゃなくて、場の空気がその人に一瞬で転換された感じね。

なかなか貴重な体験でした。

 

で、休憩を挟んでの、これを聴くために行ったドヴォルザーク交響曲第9番。

ただただ大満足の一言です。

好きな曲というのもあるけど、やっぱりCDとかで聴くのとは満足感が全然違う。( CDでも満足度高いのがあるから一概には言えないけど)

 

アンコール曲は、ドヴォルザーク/スラブ舞曲 第10番。

これも「新世界より」ほどではないけれど、好きなんですよー。「新世界より」の曲調とはガラッと変わったテンポだったのが、余計にこの曲が引き立った感じ。

好きな曲を浴びるように聴けて、本当に幸せな時間でした。

14時開演で終了は16時過ぎ頃だったけど、あっという間に終わってしまいました。

6月にチケットを買って、そりゃもう楽しみにしてきたんですが、あー、もう終わっちゃったのかーと言う感じです。

何事もそうだけど、楽しみにしていたことって、始まってしまうとすぐ終わっちゃうのよね。

 

次は何を聴きにいこうかなー。しばらく、飽きるまでドヴォルザーク聴きたいけど、

ピアノ(+オーケストラ)も聴いてみたい。角野隼人さんとか、よさそう。

 

 

 

 

 

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初めての成功体験と、初めて自分で選んだ分岐

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小学生の時、性格が変わるきっかけとなった出来事に、音楽祭への参加(立候補して)がありました。

それまではとにかく引っ込み思案で、人の陰に隠れてばかりいた子でした。発言もした事がなかった。

1、2年生の時はまだ、必ず通信簿に『よく泣く』『すぐに涙を流す』と書かれていました(笑)

3、4年生ではさすがに泣かなくなったけど『おとなしい』。

 

小学校に上がる前は本当にものすごい泣き虫で、年長さんの時は幼稚園の先生から嫌われるくらいでした。嫌われているのがよくわかりましたね。

あまりにもよく泣くので、親からも『泣いてばっかりいて!』と年中怒られていた記憶があります。

反面、幼馴染が男の子ばかりだったし、遊び場が空き地や沼地(ウシガエルの鳴き声が怖くて泣いてた笑)、稲刈りの終わった田んぼなどだったので野生児のようでもあったんですが。そのギャップがすごいですねえ。

 

とにかくその音楽祭の前までは、自分は何をしても碌にできないグズだ、と自分のことを思っていました。大袈裟でなく、本当にそう思ってました。こんなにグズで、将来どうなるんだろうという不安も感じていましたね。

実際何をやってもダメでしたし。

もしかしたらそんなことはなかったのかもしれませんが、自分ではそう評価していました。

 

で、クラシックが好きだということだけで、小学5年生の時、「音楽祭に出たい」と強く思い、初めて誰に言われるでもなく自分の意思で意思表示をしたのです。

 

 

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そしたら、本当に楽しかった。

練習も楽しく、音楽祭そのものも楽しく。それまで味わったことのない楽しさでした。それを通じて、それまで縁のなかった子とも仲良くなった。

 

私にとっては初めての成功体験。

それまでは褒めて欲しくてお手伝いをしても「余計なことをするな」「余計な仕事を増やすな」と言われる子でしたから、初めて自分のした事が実を結んだ、初めて自分のした事が認めてもらえた、みたいな嬉しさがありました。

 

そこから道が分岐した。

自分で選んだ初めの分岐だったろうと思います。

 

それでもまだまだ自己評価は低かったですが、少しずつ積極性が出てきたのはそこから。

小さな成功体験を積めるようになったのもそこから。

「あ、私ってこういうの(演奏したり歌ったり文章を書いたり絵を描いたり)が好きなんだな、だから楽しいんだな」と気がつくようになったのもそこから。

 

その時の演奏曲が、ひとつは「タンホイザーマーチ」でした。もう一つあるのですが、こちらがどうしても思い出せません。

『ワルツ第2番』というのは記憶しているんですが、誰のワルツ第2番だったのかが思い出せない。

YouTubeで探したりもしたんですが、全然見つからなくて。

小学生のリコーダー演奏でやるくらいだから、ある程度メジャーな曲なんじゃないかと思ったんですがね。

 

もう何年もそれが気になっていて。

オーケストラであれを聴きたいなあと思うんです。

多分いつかわかる時が来るだろうとは予感しているんですが…出来れば早く知りたいなあ。

 

自分が変わっていくきっかけになった曲なので。

 

 

 

 

 

 

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