思うままに書かせてもらいますので、ご注意願います。
殺害された息子さんに発達障害があったと明らかになり、この父親の心中を思うと、なんともやるせないです。
『何故周りに相談しなかったのか』
という意見がありますが…
かつての私も、誰にも何も言いませんでした。
言えませんでしたよ。
発達障害という言葉は数年前からようやく広く知られるようになりましたが、それよりも前は認知すらされていなかったと思います。
広く認知されるようになった今でも、理解はまだまだ進んでいないと私は思います。
いや、理解はされてきたかもしれない。
それと受容されているか否かは別です。
特に自分の身近(職場、学校)に発達障害の人がいると、ペースを乱すとか空気が読めないとか、要するに【その集団に求められる、ある一定ラインに達しないこと】から煙たがられ、当事者は一生懸命にやっていてもそのラインに届かず、孤独感が大きくなる。
そこに理解者と受容者がいること、本当にただその一点だけが、発達障害のある人の心を(その親の心をも)救うと思っています。
要領が悪かったりこだわりが強かったり、それが過ぎる人がいると、特に社会人になってからだと、周りの負担が増すことはわかります。
当事者の家族としては、マスコミで言われているほど、そして色々な特集が組まれるほどには、社会的な受容は進んでいないとも感じます。
所詮は人ごとなんだなと思うこともあります。
だから私はずっと、誰にも何も話さなかった。
話してもどうせ、理解できるはずがないと思ったからです。
そして解決なんて無いのだと思ったからです。
うちの子は成績が悪いとか、遊んでばかりだとか、そういう他のお母さんの愚痴が、どれだけ羨ましかったか。
私がちゃんと、普通の脳に産んであげられなかったせいで、
(発達障害が脳の障害であると知って、過去はそう思っていました)
10年以上も酷いいじめに晒され続け、心に取り返しようのない傷をつくり…別のお母さんから生まれていたら、もしかしたらこの子はこんなに苦しまずに済んだのではないか、と思ったこともありました。
優しくて真面目、誠実。言われたことはきっちりとやる。でも臨機応変が効かない。気の利いたことも言えない。感覚がずれている。
だから人付き合いが上手くいかない。
ただそれだけ。
人を傷つけるわけでも無い、人を蔑めることもない。ただ人とのコミュニケーションがうまくとれないだけ。本人は人と関わりたくても、会話がずれてしまう。
それが、社会の中ではどれほどに大きなことか。
今回のお父さんも、表に出ているのは彼の長年の苦しみの氷山の一角でしかなく、
殺害された息子さんも、長い年月、どれだけの悩み苦しみを味わった末だったのかと思うと、本当に人ごととは思えずに、涙が出てきます。
よく『発達障害は天才が多い』とも言われますが、それはごく一部だと思います。
多くの人は、社会から必要とされていないのではないか、という無価値感を、大なり小なり感じているのではないかと思います。
…オチのない内容になりました。
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