~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~
本当は「こう感じている」のだけれど、それに気が付かずに 或いはそう感じてはいけないという価値観があるゆえに別の感じ方をしている(と錯覚している)ということがあります。
どういうことかと言うと、
本当はAと感じているのに、Bと感じている(はず)なんだ。
ということです。
「気が付く」
って、当たり前だけど気が付くまではわからないんですよね。
気が付いた時に初めて「気が付いた!」とわかることなんです。
よし、気が付こう! と思って分かるものではない。
本当の感情や感じ方が見えない、その『壁』になっているのは自分の価値観や、生きてくる上でこれでもかと教え込まれた善悪、良し悪し(これも価値観かな)なのだと思うのですが、
だからと言ってその壁となっている価値観を意思の力で無くそうとしても無理。
そもそも、壁なんて意識しないし。気がついた時に初めて「そんなのがあったんだな!」と気がつくものなので。
でも本来の自分には、自分の本心や本当に感じていることはちゃんとわかっているのです。
だから、本心から外れれば、そこにモヤモヤや違和感が出てくる。
私たちは物心ついた頃から、ずっと善か悪か や○か✖️かで考えることが当たり前になっています。
自分が本当に感じていることは?
本当に望んでいることは?
自分が好きな方は?
ではなく、
間違えない方はどちらか?
正解はどちらか?
褒められるのはどちらか?
で考えることがごく自然のことになっています。
自分の好みでなく、正解か不正解かという基準であらゆる事を考えている。
私は自分で考えて決めているとずっと思っていましたが、底には『正解か不正解か』があった事に突然気が付いて結構衝撃でした。さらにそこから『ねば べき』が生じていたんだなぁと。
まあ、正解を求めるのは生き物としての生存本能から言って仕方がない事なんですが。
近ごろ、この年になって本当に様々な事に気がつくことが多くて(それまで無意識レベルだったことに、突然違和感を覚える、みたいな)、もっと若い時にこういう深いところに気がつけていたらなあと本当に思います。
今までの様々な積み重ねがあるからこそ、今色々気がつくようになって来たのかも知れませんが…。
これが、例えば三十代とかで同じ事が分かるようになっていたら、どんな風に生きて来られたのかなあ…。
…と、過去を振り返っても仕方がないので、今に使っていこうと思います。
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