置かれたその場でって?
1番分かりやすいのは仕事での配置転換かなと思います。全然望まない部署、場所に置かれてしまった。というもの。
私もそのクチで、「自分には全然その適性はない」と固く信じていた部署に、病気が理由で持っていかれてしまった事があります。
今だからハッキリ言っちゃうけど、もうね、まっっったく、全く!!! 望まない配置転換だったんですよ。
あまりにもそれまでのところとカラーが違うので、本当にやる気ゼロどころかマイナスになって、いつ辞めようか、と考えていた時期もありました。
ただ、健康ならまだしも、私のような病気を持っていると他では多分採用してはもらえないのは明らかです。
どんなに意に沿わない配置転換であったとしても、現実問題としてはもう、病気である事を分かった上で雇用してくれる、ここでやるしかない。それはわかっていたんですね。
そうなったら腹をくくるしかないじゃないですか。
こういう仕事では普通のサラリーマンのように「成果をあげる事」がそこでの幸せに直結する、というのとは違いますが、「意に反して持っていかれた場でどれだけの幸せを感じることができるかを、試行錯誤する」という事になったのです。
配属当初は、いくらそれまでの経験があろうと、そこでは新人同様でした。かつては自分が指導した事もあるスタッフの下になりましたのでね。これは正直キツかったですよ、一度は上に昇ったプライドがありましたから。
でもやがて経験と知識、理論、(多分キャラクターも)が活きてきて自分の意見が一目置かれるようになりました。
そのうち、自分の意見が通った事が、あるかたのターミナル期の苦痛を大幅に軽減することに繋がった。
それがその場での新たな自信の第一歩、経験となり、そういう事が積み重なって、「誰かの苦痛を軽減すること」(どれだけ苦痛を軽減する事ができたか)が、自分のやりがい=自分の幸せ になっていったのです。
要するに成功体験となったのですね。
そこでは外から来た私の考え方は、はじめは異端だったんですよ。かなり価値観が違いました。
仕事上で「やりがいがある」というのは、「仕事する上で幸せな事」に他なりません。
置かれた場が自分にとってどのようなものになるのかは、自分の心の持ち方が、大きく影響するんだと思います。
何だかんだで、今の部署に配属されて5年ほどになりますが、配属された当時の
「こんなところに来たく無かった! 私の適性はここでは活かせない!」
との気持ちを持ち続けていたら、今のように「それでも仕事が好き」
と言える私は居なかったと思います。
実際、やっぱり私の適性とは違う、というのは今でもあります。そしてそれは仕方がない。だって違うんだもの(笑)
人は見たいように現象を見ますから、あのままの心の持ち方であったら、嫌なところばかりが目に付き続けたでしょう。
そうするとどうなったか。
やりがいからはほど遠く、「私はただ、金のためにだけ働いてるんだよ。こんなところ、最低」となっていたでしょうね。
大事なのは、仕事に限らず、万事がこうなんじゃないだろうかと思うのです。
少しの加減、少しの心の持ち方の違いで、時が経てばそこに大きな差が生まれてくる。
人生の結果が違ってくるという事です。
だったら与えられたその場で、どこかに幸せを見出す「癖」をつけた方がいいよねと思うのです。
●注意●
言うまでもありませんが、与えられた場が命に関わる深刻な問題があるようなところでは、これは当てはまりません。
生きている事が何よりも優先され、そのための対処がなされるべきです。