Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

いまだに慣れない、はてなブログ。でも好きよ

お題「今日の出来事」

 

↓ここの他に長年アメブロも使っています。

This is me

(そっちは日常のことがほとんど)

そっちでの失敗も時々あるにしろ、とても少ないし、便利で使いやすいのですが、こちらのはてなブログは、始めて一年以上経つというのに未だに失敗をしたり、わからないことに遭遇しています。

 

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今日予約投稿で7時に上げた記事、その後カスタムURLを少し変えたら、元の記事そのものが無いことになってしまって驚きました。

タイトルも内容も全て変えていないけれど、URLを変えてしまうと元の記事は無いことになってしまうんですね。

でも考えてみたら当たり前ですよね…。

 

すでにスターを下さった方々がいらして、その方々には大変失礼な事をしてしまいました。

申し訳ありません。

 

安易にURLを変えないよう、今後はよく考えてカスタムしようと思います。

 

 

 

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置かれたその場所で幸せを見つけること、パフォーマンスを上げること

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置かれたその場でって?

 

1番分かりやすいのは仕事での配置転換かなと思います。全然望まない部署、場所に置かれてしまった。というもの。

 

私もそのクチで、「自分には全然その適性はない」と固く信じていた部署に、病気が理由で持っていかれてしまった事があります。

今だからハッキリ言っちゃうけど、もうね、まっっったく、全く!!! 望まない配置転換だったんですよ。

あまりにもそれまでのところとカラーが違うので、本当にやる気ゼロどころかマイナスになって、いつ辞めようか、と考えていた時期もありました。

 

ただ、健康ならまだしも、私のような病気を持っていると他では多分採用してはもらえないのは明らかです。

どんなに意に沿わない配置転換であったとしても、現実問題としてはもう、病気である事を分かった上で雇用してくれる、ここでやるしかない。それはわかっていたんですね。

そうなったら腹をくくるしかないじゃないですか。

 

こういう仕事では普通のサラリーマンのように「成果をあげる事」がそこでの幸せに直結する、というのとは違いますが、「意に反して持っていかれた場でどれだけの幸せを感じることができるかを、試行錯誤する」という事になったのです。

 

配属当初は、いくらそれまでの経験があろうと、そこでは新人同様でした。かつては自分が指導した事もあるスタッフの下になりましたのでね。これは正直キツかったですよ、一度は上に昇ったプライドがありましたから。

 

 

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でもやがて経験と知識、理論、(多分キャラクターも)が活きてきて自分の意見が一目置かれるようになりました。

 

そのうち、自分の意見が通った事が、あるかたのターミナル期の苦痛を大幅に軽減することに繋がった。

それがその場での新たな自信の第一歩、経験となり、そういう事が積み重なって、「誰かの苦痛を軽減すること」(どれだけ苦痛を軽減する事ができたか)が、自分のやりがい=自分の幸せ になっていったのです。

要するに成功体験となったのですね。

 

そこでは外から来た私の考え方は、はじめは異端だったんですよ。かなり価値観が違いました。

 

仕事上で「やりがいがある」というのは、「仕事する上で幸せな事」に他なりません。

置かれた場が自分にとってどのようなものになるのかは、自分の心の持ち方が、大きく影響するんだと思います。

 

何だかんだで、今の部署に配属されて5年ほどになりますが、配属された当時の

「こんなところに来たく無かった! 私の適性はここでは活かせない!」

との気持ちを持ち続けていたら、今のように「それでも仕事が好き」

と言える私は居なかったと思います。

実際、やっぱり私の適性とは違う、というのは今でもあります。そしてそれは仕方がない。だって違うんだもの(笑)

 

人は見たいように現象を見ますから、あのままの心の持ち方であったら、嫌なところばかりが目に付き続けたでしょう。

そうするとどうなったか。

 

やりがいからはほど遠く、「私はただ、金のためにだけ働いてるんだよ。こんなところ、最低」となっていたでしょうね。

 

大事なのは、仕事に限らず、万事がこうなんじゃないだろうかと思うのです。

 

少しの加減、少しの心の持ち方の違いで、時が経てばそこに大きな差が生まれてくる。

人生の結果が違ってくるという事です。

 

だったら与えられたその場で、どこかに幸せを見出す「癖」をつけた方がいいよねと思うのです。

 

 

●注意●

言うまでもありませんが、与えられた場が命に関わる深刻な問題があるようなところでは、これは当てはまりません。

生きている事が何よりも優先され、そのための対処がなされるべきです。

 

 

 

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空母いぶき、2度目の鑑賞

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共感性、感受性が強く、傷つきやすい人たちへ - Harmonize

 

 

空母いぶき。

最近観に行ったばかりなのですが、ミョーにまた観たくて、2度目行ってまいりました。

原作未読です。一切の先入観なしでの鑑賞。

 

やっぱり2度目の鑑賞でも気になるところはアレもコレもと、まあ、あるにはあるけど!

 

「おい、いいのかそんなことしてて!」

「イヤイヤ、それ、かなりヤバイのでは!」

「根本的にその場面、要らないのでは!」

「ああっ、緊張感台無しじゃないですか!」

みたいなの、あるけど!!

 

それを差し引いても、私はかなりいい作品だと思います。とても好きです。

 

登場人物それぞれに信念があり、そのブレなさが、とてもかっこいいのですよ。

特にいぶき艦長秋津竜太の、切迫した状況の中での判断力にホレる。内面には相当なものがあるんだろうけど、国を守るためには、という一点では全くブレないところがいい。

何で緊迫するところで口もとにうっすら笑みを浮かべるのかがわからなかったけど。もしかしたらアレで緊張をとってるのかな。

まあんな事はいいとして。

 

それは他の護衛艦長でも同様で、彼らは「いぶきの護衛」という任に徹する。その潔さったらない。

 

原作読んでみようかなー。

 

 

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…で、話自体はありがちと言うか、かなり予想ができて、実際に予想通りの展開になるんだけど。

 

 

とにかく、1度目観た時に、まだ終盤観てる最中から「これはもう1回観ないといかん!」 となりましてね。

私は、わざわざ映画館で2回以上観る、という事はほとんどないんです。過去に1度くらいはあったかなぁ?

 

ところが2度目を観たら、嘘のようにスッキリして「あ、もういいな」と。何だろうなー、一体何を落とし込みたかったのかなー。

 

そうなんです、映画(DVDでも)に妙に凝る時って、私の場合は「何かしら落とし込もうとしている時」らしいんですよね。

 

何を?

と言うと、これだろうな…というのはあるけど、多分それ以外にも、顕在意識よりもっと下の方で何かしらあるのです。

 

多分この先、それが元になる何かが必要になるという事なんですね。

あ、別に、この作品が隣国との戦闘を描いた作品だからと言っても、隣国との間で戦火が開かれるとか、そういう事ではないですからね!

あくまでも私個人で、ということです。

 

最近の例では

アベンジャーズを観た後のエネルギーデトックスワークの変化 - Harmonize

がありましたが、あんな感じです。

 

実は「3回観て」と言われていたんですね。けど落とし込みが早かったのか、2回で済んだみたいです。

 

映画好きのせいか、最近特に、「映像で見せる」という手をよく使われます。

さて、この作品ではどんなことを落とし込んだのでしょうか。

後になってみないとわからないんだなー、これが。

 

参考までに浅いところ、顕在意識でわかってるのは、「モノゴトは予想外のことに対処するその連続で動くのだな」って事ね。

深いところもありそうだけどね。

 

 

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ひらめきは、朝。ひらめきは、風呂。

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共感性、感受性が強く、傷つきやすい人たちへ - Harmonize

 

タイトル通りなんですが、閃きが来ることって、圧倒的に朝が多いです。私の場合。

そして、お風呂に入っている時も多いです。

 

その昔、そこそこアクセス数のある小説サイトをやっていたことがありまして、それのプロットが閃くのはほぼお風呂に入っている時でした。

頭で考えるというよりも、その場面がいくつもいくつも「見える」という感覚。

いくつか見えたものを文章で表現していた、というのが1番しっくり来る言い方ですね。

 

今思うとアレはまさしくどこかの世界とのチャネリングだったのだな、とわかります。

だって私の頭で考えていることとは違うんですから。頭の中にスクリーンがあって、目の前で起きている事をただ見ている、という感覚。

どこかのパラレルワールドだったのか、高次のどこかの世界だったのか、それはわかりませんが。

 

余談ですが、子供の頃は、どこかの世界の別の人と頭の中で会話してたですね。

「何か聞くと答えてくれる、いつも同じ存在」がいました。

それを親にも誰にも言わないまま大人になりましたが、もしアレを大人にでも言っていたら、「この子はおかしいんじゃないか」と思われたでしょうし、「そんなことを言うんじゃない!」と言われたかもしれません。いずれにせよ、「おかしなことを言う変な子」と思われただろうと思います。

そして大人になるにつれて「その感覚」に蓋をしたのです。というか、忘れたんですけどね。

 

 

 

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まあ、そういう事をそれこそ無数と言って良いくらいに経験してきました。

だから今でも、何か打開点を探したい時や、何か良いやり方を探したいときは狙ってお風呂に入ります。

そのものズバリのことを閃かなくても、「繋がった」と後でわかるようなことが閃いたりします。

 

そしてもうひとつ閃きやすいなと思うのは、早朝です。

お風呂の閃きと朝の閃きとはちょっと違うな、というのがありまして、お風呂は別のところからの閃きの感覚に対して、朝は「自分の脳が生み出している感覚」ですかね。

それだけ頭がクリアな状態なんだと思います。

これまで脳に蓄積されたことの中から、必要なものが引っ張り出しやすい状態になっているのが朝、という感じかなー。

 

逆から言ったら、必要なものが脳にインプットされやすいのも朝なんじゃないかなと思うのですよ。

出し入れがしやすい状態なのが朝、という感じですかね。

 

なので、私は、身につけたいことがあったら朝の時間を使います。

今は特に占術の課題をこなす時間に使っていますし、少し前まではエネルギーデトックスワークのセルフワークの時間に充てていました。

 

これも余談ですが、占術の鑑定をやっていると特に感じますが、数字のエネルギーに対してのチャネリングとでも言ったら良いのかな。そういう働きが冴えます。

数字には本当にたくさんの「意味」があって(わたし的に言ったら数字の持つエネルギーということなんですが)鑑定の目的、何を聞きたいのかによって、数字のどの部分を抜き出して読むのかが必要になります。

これは、わたし的には「数字のエネルギーとの、一種のチャネリング」なんですが、圧倒的に朝の方がやりやすいんですねー。

 

そんなわけで、閃きを得たいなら、やりやすい時間帯が存在するよ、ということと、何かを身につけたいなら朝が断然オススメだよ、ということなんです。

身につけたいこと、というのは、いわゆる「勉強」とはまた少しちがうんですけど。

「勉強」で使う脳の部分ではない部分を使うものだなーと思います。

 

勿論勉強もオススメだと思いますけどね。

 

 

 

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◆お題◆ブランデー梅酒

今週のお題「家で飲む」

 

私はホワイトリカーの梅酒はイマイチ好きでなくて。5年くらい経ったものはまろやかで美味しいんですけどねー。

 

ブランデーで作ると美味しいと聞いて、去年は初めてブランデーで梅酒を作りました。

ホワイトリカーだと漬けて1年は飲まないのです。味がトゲトゲしくて、美味しいと思えないので。

でも今回は初めてブランデーを使っているので、どんなもんかと思って、1年未満で味見。4月ごろ。

 

 

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すでにまろやかで美味しい!!

ブランデー梅酒、想像以上に美味しい!!

 

ちなみにブランデーは、高いものじゃなくてドラッグストアで買った安いブランデーです。ホワイトリカーより少し割高にはなりますが、味的にはブランデーの方が断然好み。

高いブランデーだともっと美味しいのかな?  でもそうすると気軽に作れなくなりそうだしねー。

ホワイトリカーをブランデーに変えるだけで、氷砂糖や梅の量は同じです。

 

もう少しすると梅が出回りますね。

梅干しも作りたいなあ。

 

 

 

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生きること、老いること

介護施設で入所者11人死亡 熊本、常勤医不在の4カ月(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

yahoo!ニュースを読んで思ったこと

 

 

何を問題としているのか


この記事、何が言いたいのかな、と思ったのです。


介護施設で4ヶ月で11人亡くなったこと?

急変時、常勤医師がその場にいなかったこと?

耳鼻科医が半ば名前だけの常勤医だったこと?

なぜ80代の耳鼻科医に常勤を頼まなければいけなかったのか。

素人が考えてもそんなの無理だとわかるのに、それでもそうせざるを得ない訳があると普通思うよね? …という背景については取材したのか?

 

なぜ新しい常勤医が誰も来なかったのか。

医師にしてみたら、やりたくないという訳があるはず。だからなり手が居なかった。それは今回の施設に限ったことなのか、それとも全国的に言えることなのか。…という背景については取材したのか?

 

物事の裏に隠れているはずの問題は何なのか

 

物事には必ず裏があるものです。

そういう事を社会に知らしめて、問題の本質を示して、改善に向かうにはどうするのかを広く考えさせるのも、報道の役割でもあるはず。

でもこの記事は、表面的なことにしか触れていない。

 

どこに問題提起をしているのでしょう。

「こうでした。こうでした。こうでした。」

…それで?何が言いたい?

こうでした。の、その先は?というのが感想です。

 

介護施設の実情

 

介護施設の現状を一度でも「詳しく身をもって」取材をされたのでしょうか?あるいは、きちんと調べたのでしょうか?

 

昔とは違う現在の老健

老健は、確かにかつては「在宅への橋渡し」でした。だから、「元気な人ばかりのイメージ」を持っている人がまだ多いかもしれません。

ですが、今は違います。老健で看取りがなされることは普通になっています。

突然死の危険がある人が入所している事も、普通にあると思います。

突然死や急変の可能性のある人と、徘徊し転倒リスクのある人とを同時に見なければいけないという現実もあります。

 

家に帰れない人は多い

老老介護で家での介護が難しかったり、家庭での介護力がなかったり、ご家族が限界だったり、子供さん1人でご両親2人の介護をしなければいけなかったり、ご本人が独居だったりすれば、そのまま老健に居続けるケースはいくらでもあるはずです。


特養に移るまでの間と言っても、負担額の少ないところほど何十人という順番待ちというのは決して珍しくはなく、高額なところは比較的すぐ入れるでしょうが、家族にもご本人にも、そんな金銭的な余裕のある家は、そう多くはないはず。というか、少ないでしょう。

結果、老健で亡くなることも多いはずです。

 

 

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高齢者の抱える慢性疾患

高齢者は寿命の延びとともに数々の慢性疾患を持っています。1つ2つではありません。その上、免疫力も格段に落ちていきます。

要するに、「元気に見えても本当に元気ではない」のが、まずはベースなのです。

 

嚥下能力の低下から嚥下性肺炎

例えば、どんなに達者に見えても、食事の時にむせがなくても、しっかりと飲み込めているように見えても、じわじわと誤嚥していることは多々あります。

理想であれば、20分前後を要する嚥下リハビリを一人一人にすることが望ましい。ですがそれが可能な施設が果たしてどれほどあることか。50人、100人単位の入所者の規模となったら、現実的には相当限られるでしょう。

やがてそういう方は、嚥下性肺炎を起こして、高熱を出し、昼夜問わず吸引が必要になってくる。

 

突然の急変も起こりうる

心不全末期の方は、前日まで特に変わりなかったのに、突然の急変がありえます。

過去に心筋梗塞を起こした方もいる。脳梗塞を起こした方もいる。

ただですら脱水に傾くのが高齢者。その上動脈硬化も進んでいる。ということは、再びどこかに梗塞を起こす危険がある、つまり急変の可能性があるということです。

COPDの方だって多いと思います。安定していればいいですが、一たび肺炎を起こせばあっという間に状態が変わってしまいます。

そして、介護施設は病院ではないので、必要ならその度にご家族の付き添いの元、病院受診となるでしょう。度重なれば、ご家族の負担も無視できません。

 

人数だけではなく

状態変化の時に、ご家族にチキンと状態説明の連絡を入れたり、必要に応じて医療機関を受診してもらったりということを怠っていたのであればそれは改めるべきところですが、4ヶ月で11人という人数を非難(私には非難しているような書き方に見える)するのは、「施設というもの」や、諸々の背景についてちゃんとした下調べをしていないのだろう、としか思えません。

 

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いつ何が起きてもおかしくない怖さ

何が言いたいのかというと、4ヶ月に11人と問題にする以前に、どんな方がそこに入所していたのかをちゃんと取材したのかということです。表面上の病名だけでなく、どんな状態であったのか。

85歳を過ぎたあたりからは、いつ何が起きてもおかしくないのが高齢者の怖さだと私は思っています。

先に書きましたが、いくつもの慢性疾患を持ち、中にはそれが末期的な状態である事も多いのですから。


そして、そういう方ばかりが入所しているのが施設という場所です。

なおかつ、医療保険適応の場所ではないので、積極的な医療行為は出来ないのが老健というところです。仮に老健施設で何か医療的なことをするとなれば、かかる費用は全て施設の持ち出しになるはずです。

だから普通はご家族が付き添って医療機関を受診しているはずです。

 

 

報道の人には特に、介護の実態をもっと知ってほしい

話が少しそれましたが、そんな中で、何ヶ月に何人亡くなったということを、こういった論調で書き立てるのはちょっと違うのでは、と思うのです。

時々こういう記事を目にする事があって、その度に疑問を感じていました。

 

このような記事を書く前に、せめて1日でいい、介護施設の実態を昼も夜も体験されてみてはいかがかと思うのです。

何かをしろと言うのではなく、ただ職員の後ろをついて回るだけでも。

そうすれば、そこに働いている人々がいかに心身が疲弊している状態か、その疲弊がルーチン化している状態か、犠牲的精神と善意に大きく支えられている職場であるかが少しはお分かり頂けるのではないかと思います。

そして、制度の矛盾点も少しはお分かり頂けるのではないかと思います。


その上で、このように偏った書き方ではなく、現実をしっかりと見て、超高齢化の日本の将来のためにはどうしても避けては通れない、介護の問題を改善するためにこそ、記事を書いてほしいのです。

 

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使命感や犠牲的精神頼みの世界

看護も介護も、使命感や犠牲的精神に頼ってどうにかなる仕事ではありません。

私は、今は看護よりも介護の方がより深刻な状態で、早急に待遇の改善が必要だと思います。

でなければ、高齢者は今後益々悲惨な環境に追い込まれていくのは、おそらく誰の目にも明らかなのではないでしょうか。

 

介護をめぐる事件や事象

ネットを探せば既に、老老介護、独居の孤独死、介護に疲れ果てた上の、あるいは将来を悲観しての殺人、介護から端を発した家庭不和など、介護に絡んだ悲劇的な事件や事象はいくらでも見つかります。

 

人は誰でも老いるのです。

生まれたその時から老いに向かっているのが、生命の定めです。誰も老いて死ぬことからは逃れることはできない。

 

長生きしなくていいと思うようになった

私も老いたら息子たちに迷惑をかけたくない。

発達した医療のおかげで生き永らえさせられるのも、これっぽっちも望みません。

昔のお年寄りがそうであったように、食べられなくなってきたら食べられないままでいい、そのまま枯れるように亡くなりたい。

 

今の高齢者を取り巻く環境を考えると、私は長生きしなくてもいい、と思うようになりました。

もちろんこれは私だけの考えであって、他の誰に同意を求めるものでも強制するものでもありません。

 

高齢者が本当に幸せを感じることのできる社会は、きっと皆が幸せなのでは

 

高齢者が幸せを感じることのできる社会は、きっと皆が幸せな社会なのではないでしょうか。

先日の年金に関する報道もしかり、今の社会(制度)は、「年をとって金を稼げなくなったら、もういなくていいです。社会のお荷物です」と言っているように思えてしまいます。

 

そんな国で、誰が長生きしたいと思うのでしょうか。

 

 

 

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ブルーマンとエネルギーデトックスワークのつながり

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ブルーマンを観に、六本木まで珍道中してきました。

 

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ちょっと想像とは違って、笑える場面がたくさんあって楽しくて良かった。笑えるところなんてないんだろうなと思っていたので。(だってあの青い風貌だし)

 

観客のかたが参加してのパフォーマンスもありまして、1人目のたかの映像の使い方がすごくて(医療従事者には見慣れた映像)うわ、凄っ!! こんな風に使えちゃうのか! なんて自然なんだ! と驚きました。

2人目のかた参加のパフォーマンスはホノボノとして笑えたし、3人目のかたは「おーーー!」「コレは若い男の子じゃないとね!」みたいな。

多分こういうのって、まだ公演中だし、詳しいこと書いちゃうと多分ダメなんですよね?

だからめっちゃわけわからない書き方になってますが。

その1つ1つが、ちゃんと参加する人に無理のない人選みたいで、こちらも安心して見ていられましたねー。

 

色と光を使ったパフォーマンスは、さすが圧巻。

 

その中でいちばん記憶に残ったのが目から入った情報(わたしにはそのイメージだった)が、神経細胞を通って脳にいき、それが身体中を駆け巡るような映像。(しつこいですが、わたしにはそう見えた、ということでして)

 

おお、コレは!!と思いました。

コレだよ、コレなんだよ! わたしのエネルギー糸が体を駆けていくイメージは!!

わたしったらこんなとこに来てまでも、エネルギーデトックスワーク繋がりのものを見ようとしているのかーーーと、ある意味感心(笑) 

まあ、無意識で上達のきっかけをインプットしようとしているんでしょうね。さすが凝り性です。

 

それと、人から生じたエネルギーが宙に溜まって、それがまた人に影響を及ぼす…という事を表現しているとしか思えないような映像もあって。

 

あの映像の真意のほどはわかりませんが、私にはあの

「ネガティブな状態の人から立ち昇り、融合して、宙にモヤモヤと溜まっていくもの」

「そしてさらにそれが人の中に入っていく」

…は、どーーー見ても人から発したエネルギーが地上の人に影響するさまにしか見えなかったんですけどねー。

 

 

 

誤解のないように言っときますと、他にも「おお!」と感動するパフォーマンスや綺麗なパフォーマンス、沢山ありましたよ! 最後の方の大きな紙風船? とか、宙を漂う無数のテープなんて、めっちゃ綺麗でしたから!

 

でも私には、脳にインプットされたのは、

「目に入ったエネルギーが神経細胞に乗って身体中を駆け巡るイメージ」

「人から立ち昇ってモヤモヤと宙に溜まるエネルギー(としか見えないもの)」

がダントツだったのです。それが音と光と色と動きで示されるから、インパクト絶大なのです。

「人は見たいように現象を見ている」ってヤツなのかもしれませんがねー。

 

 

1つだけ困ったのが、わたしは病気の後遺症で目に障害があるので、結構光がキツい場面もあったというところです。

でも普通に健康なかたなら、なんら問題ないと思いますよ。

 

ちなみに、わたしは目の負担となったその時の光のエネルギーを、その日のうちにエネルギーデトックスワークで抜きました。

こういう時は、やっぱりエネルギーデトックスワーク出来るといいなーと思いますね。

 

 

(おまけ)

開場前に入り口付近にあった

↓コレが気になって(青いカレー完売だった!)

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コレを飲んできました。

普通のタピオカ入りのカルピスでした(笑)

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生まれた時は皆同じ。それがなぜここまで、壊れてしまうのか。

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◆重要◆カルマとか宿命とか運気とかスピとか言う前に、まずは現実世界です。 - Harmonize

 

本当に、痛ましい事件が続きます。

テレビを見なくなって久しいですが、このような悲惨な事件はどうしても耳に入りますし、目にも飛び込んできます。

 

 

特に何か成功を収めるわけでもなく、大金を手にするわけでもなく、人から羨まれるような暮らしをしているわけでもなく。

ただ無事に生きているというだけで、幸せなことなのだと。

 

自分で自分を殺さず、人から殺されもせず、人を殺しもせず暮らしているというのは、それだけでも充分に幸せなことなのかもしれない、とすら思えます。

 

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通り魔というのは、昔からありました。

そして昔のそれは、昨今のように被害者が多数では無かったように思います。

 

 

街で、あるいは身近で赤ちゃんを見るといつも思うのですが、「誰だってスタートは同じ」だったはずなのになと。

それが、残忍な犯行を引き起こしてしまうまでに壊れてしまうのは、一体何故なのだろうと。

 

生まれた時から残忍なんていう赤ちゃんは勿論いません。「さあ、これから人を傷つけるため、人をいじめるため、人を殺すために大きくなってやる」と思っている赤ちゃんはいません。(世界中の赤ちゃんを1人残らず見たわけではないけど、断言するよ)

 

周りの愛を疑わず、愛を求め、そして周りの愛情があるからこそ生きていけるのが赤ちゃんという存在です。

 

今回の容疑者の複雑な生い立ちを聞くにつけ、育ち方と育つ過程において、あるいは育った後になっても、どれだけの愛情を感じる事が出来たのかは、想像以上に「人間」を創るうえで重要なのだと思います。

 

 

とは言っても、生い立ちに複雑なものを抱えた人や幼少時にトラウマを持ってしまった人、心に大きな傷を持った人、虐待を受けた人が皆、犯罪を犯すわけではない。殆どの人は、思いとどまるのです。そして殆どの人の基本は善良だと思います。

 

もともと赤ちゃんの時は、誰でも善良の種を持っているのだろうと思います。

それが枯れてしまう人がいる、大きく育つ人もいる、弱々しくしか育たない人もいる。枯れそうになったけど、植え直してちゃんと水をあげることで、元気を取り戻す人もいる。

 

その違いは一体何なのでしょう。

同じような境遇、同じような経験をして、犯罪に手を染めるか思いとどまるか、そんなことをしてはいけないと我に返るのか、その大きな違いは。

「守るものがあるのかどうか」

「悲しませたくない人がいるのかどうか」

であるように私には思えます。

 

別の見方をすると

自分は居てもいいのだと思うことができるのかどうか。

そしてそのためには、広い意味での愛情を感じることがあったかどうか にかかっているのではないかと。

 

一度でも「愛されている」と心から思ったことのある人、

「受け止めてくれる人がいる」と感じる経験があった人、

「わかってくれる人がいる」と感じる経験があった人、

結局は、「自分はここに存在していてもいいのだ」と思うことが出来るのかどうか、だと私は思います。

 

赤の他人から親切にされた経験のある人も、この世には愛というものがあることを感じることが出来るかもしれない。

 

でも、もしも、そういったことがないままに、或いはあったとしても全く認識ができないままに成長し、自分などこの世に必要とされないのだと、誰にも必要とされていないのだと、誰にも愛されていないのだと、固く信じざるを得ない事ばかりが重なったとしたら。

 

犯罪を減らすことが出来る一番の鍵は、家庭なのだと思います。

でもそれが叶わない人(子)も実際には多い。

そういう人(子)に対して、社会がどう接していくのか。

 

 

少し前から、人の心がどんどん変質しているように感じています。

 

 

 

 

 

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