「いつか別れる人たちだから、一緒にいられる今を大事に」
大昔に読んだ漫画のひとコマにあったセリフです。
急に思い出しました。
「袖振り合うも多生の縁」
というのと、私の中では少し通じるものがあります。
でもそんな硬く考えなくても、単に、「ああ、この人とは、今生の、まさに今だけなんだな」という事を思う機会がありましてね。
私の仕事は、人の生死に関わるのが当たり前の仕事なので、そういう事を考えやすい環境にあるのかもしれませんが。
不思議なことなんですけどね、それを感じたのは何故か、仕事仲間に対してなんです。
いつもの当たり前の光景が全く違って見えた時のこと
ある方を看取りました。
事情があって、時間を少し置いてからその方はお帰りになる事になっていました。
私は勤務明けだったのですが、個人的にお見送りをしたくて、1度帰宅してからその時間に合わせて再び職場に行ったのです。
スタッフの休憩室で少し待っていたのですが、その時に、仕事をしている仲間の声が聞こえて来たりするんです。
気がついた人は
「あらー、(明けなのに)わざわざ来たの? お疲れ様!」
と声をかけてくれたりしながら、少ないスタッフで、みんな働いていました。
ただそれだけなんですけどね。唐突に前述の言葉を思い出したのです。
「この人達は、いつか必ず別れる人たち」
看取る方達のこと
実を言うと、結果的に私に看取られて亡くなる方も、おそらくはかなり濃いご縁があるからなのだろうと思っています。
往往にしてそういう方からは、苦しみから喜びから葛藤から、とても沢山のことを学ぶようになって、
ああ、この方は、わざわざ「私の日」を選んで旅立たれたのかも知れないなぁと感じる事すらあります。
『今』自分の周りにいる人々
先ほど、仕事仲間が全然違って見えた、と書きました。あれ?と思いました。
『今だけの人たちなんだ』というのが、妙に腑に落ちたのです。
どう表現すればいいものかちょっと悩んでしまうのですが、あれはなかなか感慨深いと言いますか、それまでに得たことのない初めての感覚でした。
初めての、見えないフィルターを通して周りを見ているような。
当たり前にここにいる人たちで、退職しない限り、(勤務の関係で数日会わない人もいますが)明日も明後日も顔を合わせる人たちです。実際、前日に顔を合わせている人もいます。でも昨日までとは違って見える。
とにかく、「そうか、みんな今だけの人たちなんだな」とわかった時だったのかなと。
だからどうする、 というわけではないのですが。
『一緒にいられる今を大事に』
それは、人に限らないのかも知れません。自分の周りの全てのものが、今だけなのだと思ったら。
明日もあるかはわからない、明日も会えるかはわからない。
本当にそういう気持ちで周りの全てを見られるようになったら、きっと何か変わるだろうなと思います。
勿論、私自身を含めて。
人は、亡くなる過程をひとりで越えて行く
これも当たり前なんですけど、考えてみたら、人って亡くなる時はひとりで亡くなるんですよね。もちろんそばで看取る人がいたとしても、支える人がいたとしても、1人で死への過程を終えて、1人であちらに逝くのです。
それは太古からあらゆる生き物に共通していることで、誰もがその過程を越えていかなければいけない。そして数え切れない人たち、誰もが通っていった過程、道でもあるんですよね。
だから余計に、何かや誰かと一緒に、共にある時間って、本当はもっともっと愛しいものなのかも知れません。