~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
無尽蔵にどこまでも 何でも 出来るわけではない
という当たり前のことを、ナチュラルに忘れているのが私の基本です。
Aがいいですよ
と言われれば、頭の先から足の先までAで満たされてないといけない。その中にちょっと薄くなるところや、手が届かないところが生じるのは許されない!
1から100まで満たされていないと、わたしは生きていてはいけないんだ!
→これが出来ているのなら生きていてもいい
という縛りですね
いわゆる完璧主義というやつですが、強迫観念と言った方がよいかもしれません。まあ、それは何が対象かによっても様相が全く違ってきますが、対象が大きく深くなればなるほど、強いものになっていきますね。
人間には【あそび】は必要なんだと思います。
車のハンドルにも【遊び】がありますよね。あれと同じ。
だいたい、1から100まで隙間なく完璧に満たすなんて事は、出来ないことの方が多いんですから。
体はひとつという事と時間という現界的な制約がある中で生きている個人には、やれる範囲というものがあります。
全て満たすことなど、出来るはずがない。
自分の持つ制約と限度の中で、何が出来るか?
どうなることを望むのか? 何が自分の本当の望みなのか?
自分が本当は何を望んでいるのかも、ずっと周りの目や評価を優先して(そしてそれに疑問を感じず、普通の当たり前のこととして)生きてきていると、わからないことも珍しいことではなく、むしろわかる人の方が少ないのではとすら思います。
『やりたいことをして生きる』と、よく言いますね。
ではそのやりたいことって、いったい何なのか?
そう問われてはっきりとわかる人って、どれだけいるのでしょう。
いやいや、人のことはいい。
私は?
持病から、人より短い人生であろうことは分かっていた。
その、人より短い人生を、どう歩くことが私の望みなのかと。
たとえ何を犠牲にしても、ガチガチに100満たすことを自分に強いること?
例えば1時間後、1週間後、1ヶ月後、1年後、自分が何をし、どうなっていることが心地よいと感じるのだろう。
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