呪いって、一言で言うと「執着」だと思います。
ネガティブな意味合い、例えば「あの人が不幸になればいい」的なものだけが呪いじゃないのです。
気が付かずにやりがちなのは「こうなってほしい」と強く思う事。一見、本当に相手のためを思ってのことであってもです。
ネガティブな思いには、結構容易に気がつく事ができますが、ポジティブ的な思いは気がつくのが難しいですね…。大体が身近な人や大事な人に対してになるし、だからこそ「良かれ」と信じているし。エネルギー的に「呪い」と変わらない類いの縛りを放っているとは夢にも思いません。
もちろん私もですよ。
「ああ、放ってしまったなあ」
ということは多いです。人の心としては、ある意味それは当たり前でもありますね…。
(私が今生でできるだけ解こうとしている「戒律」も、それに根差しているものが基本です)
例えば子供に対しては、どうせなら苦労させたくないという親心があるのは、否定できません。
どこでそれを見極めるのかと考えてみたのですが、
「そう願うのは、実は自分のためではないか?」
というところかなと。
自分が悲しみたくなくて、寂しくなりたくなくて、不安になりたくなくて、心配したくなくて…etc,

“Aという状態になるのが必要”だと、その人自身が決めてきたことであったとしたら、それを「そうなっちゃダメ、こうすればA以外になれるから、こうしなさい、こうしてほしい、こうしなきゃダメ」と要求したり強く願ったりするのは、別の目から見たら、「Aという状態になるのが必要」というその人の大きな邪魔をすることになります。
場合によっては、そこで越えていれば小さな山で済んだかもしれないのに、先延ばしすることでもっと大きな山を越える必要が出てきたりする。
その人が別の選択肢を知らなければ、こういう選択肢もあるよ、くらいのことは教えてもいいと思います。でもその選択権はあくまでその人にあるんですよね。
それは実は自分のために、なのでは? というのは、特にいつもその思いに囚われていたりとか、ものすごく大きな願いになっている時などは、ちょっと考えてみるといいかなと思います。
…偉そうなこと言ってるけど、これは自分に対しての注意喚起でもあるのです💧
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