~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~
先日、陽性になったものの、症状自体は大変軽く済んだということを書きました。食思不振からのタンパク質分解と思われる不調が少しは続いたのですが、それは今回に限らず、“病気”になると食欲が落ちる事はごく普通のこと、子供の頃からの経験からしても、特別なことでは無いと思っています。昔から「夏風邪はタチが悪い」とも言われてきましたし。自然界にあるものとそうでないものの違いはあるでしょうが。
それにしても…。
この『重いの』は、ホントどうにかならないんですかね…もう無くなる事はないなと確信的に思っていますが。
私が「元に戻る」という意味で使っているのは2019年の終わりまで。
潜在意識的に『元に戻れる時間』というのがありますが、それは3ヶ月だったか6ヶ月だったか…いずれにせよ、2019年の社会に戻れる時間はもう失われてしまいました。戻らないだろう、ではなくて戻らない、と断言出来ますね。私も含め、皆がもうずっと前には既に、不可逆なところまで来てしまっています。
この『重いの』はもう、無くなることは2度と無いでしょう。
それでも、体が生きようとする限りは生きるのですから、自暴自棄とか絶望とかしている場合でもありません。
『では、自分はどうしたいのか』
『では、自分はどうなりたいのか』
『どんな自分なら心地よいのか』
『どんな自分なら自分を好きだと思えるのか』
が、自分の芯という意味において、この先どういう世の中になろうと大事になってくることでしょう。
己の信念から外れることでも、それで救いになったり助かる確率が上がるのなら、是としたらいい。
どんな対価を払ってもそれだけは受け入れられない、絶対にその信念から外れたくないと思うのなら、それを是とすればいい。
大事なのは結局、『そう選択した後の自分になりに行きたいか否か』しかないのだろうな。
全てに目を瞑ってしまうのもありだと思う。
色々なことを知ることが幸せであるとは言い切れない。知ることで計り知れない精神的ダメージを負って、それが徹底的に体の機能を落とすことにもつながりかねない。
何より、『知らなければ無かったのと同じ』とも言える。
「鰯の頭も信心から」
という諺があるけれど、昔の人は非常に的を射たことを言っていたのだと思う。
(直接関係ない話ですが、そういう理由で、私はがんの告知には否定的な考えです。当たり前のように例外無く告知するけど、一人ひとりの性格や背景、精神が耐えられる範囲などもっと充分に検討されて然るべきと思う。やっぱ私は異端なのかも知れない💧)
だから私は、口を噤むことがとても増えたし、知らない顔をすることもとても増えた。とぼけることも増えた。
そうすることが現在の私の心にとっての平和であるし、先に書いたような、誰かの身体的機能を維持することにもなるだろうと考えるから。
だいたい、私はそう考えそう行動して現在地に居る、ということであって、それが他の人に当てはまるわけじゃない。
他の人には他の人の思考の仕方があり、価値観があり、「私はこういう私でありたい」「私はこういう私である」というアイデンティティがある。(無意識に)それに沿って考え行動しているのだから。
…うーー、書き始めは『“重いの“が無くなることはもう無いこれから、出来ることとしてエネルギー的にどう対処しようかー』ってことを書きたかったのに、書いているうちに全然違う方向に行ってしまった…誰か必要な人がいるのかな? と思うのでそのままUPします。
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