~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
『そこで止まっている』
って、とても勿体無いことだと思う。わずかでも動いているなら、わずかでも変化はしているものだけれど。
悲劇なのは、本当にそこで縛られて全然動いていない時。
時間が止まっている、つまりは過去のある一点から自分だけが動いてないということ。
動いてないからこそ、同じことを何百回も延々と追体験していくしかなくなる。
頭の中で自分に都合よく解釈や記憶を書き換えてしまう事もある。
だから余計に時は動かず、動いていないからそこから抜け出すヒントに気がつくこともない。指摘されても耳には音として入るだけで、脳までは届かない。
そしてまた、同じことを延々と繰り返す。
まるで賽の河原だと思う。
でもそれもまた、その人が選んだことなんだから、いいのではないかとは思う。
『その人の持ち時間』であって、誰の時間でもないから。
ただ、それが自分以外の人にも通用するか否かは別のこと。
今はもう、『自力で気がつく』というのが難しくなってるのではないかなと思う。
かつて盛んに○極化と言われた時期があったけれど、今はおそらく、その○極への固定が終わってしまって、極間の移動は出来なくなってしまった。
つまりは、定まったところのままということ。(それすら、その人の選択の結果なんだけど)
色んな価値観の人がいるからこそ自分との違いが際立って、気付けもするし学びもある。
でも、いわば自分と同じような人だらけの中に入ったら、気付きも学びも無くなるのだろうな。
顔だけ違って中身がみんな自分と同じ、というような事なんだもの。
自分と同じ人ばかりの集団というのは、きっと居心地がいい。
居心地が良ければ、わざわざ学びなんてなくていい、と思えても当たり前。(学びの時って、大きなものほどネガティブな経験と共にやってくるから)
話を元に戻すと、もう既にそういう時になってしまった(と思われる)から、時間を止めたまま動けない事も大いにあるのだろう。
時間はどんどん減ってゆく。
それを思うとため息しか出ないが。
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