注◆めっちゃスピ的な話です◆
エネルギーを発しているのは人だけじゃないのです
先日、いつも通る道ではないところを、たまたま通る機会がありました。と言っても、1月に2、3度くらいは通ることがある道なんですが。
信号待ちをしていた時、真横に、前回通った時には無かったものがありました。
修理に使われたのであろう、ところどころ剥がされた車
何台か…10台には満たなかったように思いますが、そこにありました。
以前だったら、おそらく何も感じずに眺めていたと思いますが、その時は違いました。
周辺の気(エネルギー)が、明らかに乱れていた…と言うより、歪んでいたのがわかりまして。
物置きがわりの車は…
同じように(きちんと役割を果たさせてもらえていないという意味で)放置された車を見ることもありますが、物置がわりに持ち主が使用している車もあり、そういった車は「持ち主に(まだ)必要とされている」からなのか、「大きな」場の乱れは起きていません。
ボディを剥がされた車
先日見たボデイのところどころを剥がされた車とその周辺には、まるで飼い主に捨てられた動物が殺処分を待っているかのようなエネルギーがありました。
使えるところを剥ぎ取られながら、自分自身がじわじわと崩壊するのを感じながらそこにあるのですから、思えば残酷なことです。
そういう車が多く集まれば、なるほど、それだけ場のエネルギーば歪むでしょう。
それが恨みや怒りではないのが余計に複雑な心境にさせられました。
エネルギーを持つのは生物だけではない
車に限らず、エネルギーを持っているのは生き物だけではありません。
特に愛着を持って使ったものとはその分持ち主とは強い糸が繋がっていますし、ましてや車となると「命を預けていた」と同じですからね。
関わりが深くなればなるほど、それは単なる機械、単なるモノとは違うんですよね。
だから、手放す時には「今までありがとう」と感謝の気持ちで送り出すことが大事だと思うのです。
廃車扱いの車
廃車扱いになった車は、スクラップになるばかりでは決してなく、海外へ輸出される事も多く、国内で部品がリサイクルされる事も多いと、私は認識していました。
リサイクルされる(=役に立ち続ける)んだから車の方も納得するんだろうなと何となく思っていたのですが、そうやって納得する車ばかりではないんだなあと、…まあ、当たり前といえば当たり前ですね。人だって十人十色で、同じことがあっても感じ方は人によって全然違いますし。
自分のボディが望まずに剥がされていくのは、車といえ、おそらく気持ちの良いことではないでしょう。
それに、それ以外の要因も場の歪みにはあったようです。
そのまま素通りできないレベルだったので、周りに勘付かれない程度に浄化をしました。
(大胆にやってしまうと周りの不成仏霊を呼んでしまうので、私はまずやりません)
モノを処分する事は無数にあるけれど
暮らしているとモノを処分することは無数にあります。
それをいちいちエネルギーがどうだと気にしていたら、とても暮らしていけません。
ですが、手放す時の感謝の気持ちや労う気持ちを持っているのといないのとでは、そのモノにとっては、雲泥の差になると思うのです。