~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
いきなりですが、人が最も弱いものって、恐怖じゃないかなと思うんです。もしも恐怖というものを感じなかったら、大抵のことには耐えられるんじゃないのかなと。
そのかわり、人としての進化や進歩も無かったのかもしれませんし、人という種が生き残ってくる事も出来なかったのかもしれませんが。(←それじゃ意味ない)
この2年ほど、地球は恐怖が元になったさまざまな感情の坩堝になったなと感じます。
自殺者が激増しているのも無理ないなとすら。
むかしむかし、中学か高校生のときに、星新一さんの『ボッコちゃん』という短編集を読みました。
その中に、タイトルは忘れましたが、こんな話がありました。
地球の人口が限度を超えて増えてしまい、人口調整の政策が始まりました。政府の役人が『順番が来た人間を◯す』という政策でした。
どのような方法で該当者が選ばれるのかは忘れましたが、該当者は子供から老人まで、一切の抵抗や申し立ては許されません。ただ粛々と従うのみでした。
その日、2人の役人が一組で該当者のところを回っていました。
アリサという女の子の家。母親は、彼らが身分証を見せるなり、
『ああ、死神…』
と蹲ります。
そして、懇願します。
『なにも、アリサを。ここまで育って来た、可愛いアリサを』
役人Aはいつものように説明します。
『人口が爆発して、地球が人間を支えきれなくなった。このままでは人間は滅亡するしかない。この政策をやめてしまったら、人類自体が生きることができない。(政策により人類が受けている恩恵を機械的に語る)
…大丈夫、(彼女が)苦しむことはありません』
(細かい台詞は忘れましたが、だいたいそんな感じ)
役人は、花畑の中で遊んでいたアリサに照準を合わせて……花びらが舞います。
『次は何処だい』車に戻ると役人BがAに尋ねます。
Aは、次の該当者のカード(?)を見ながら答えました。
『ああ、あの河原がいいな…』
『なんだい、その、「いいな」ってのは』
そのカードには、役人Aの名がありました。
『残りの仕事を全部君に残すことになる』
Bは言います。
『何も順番通りにしなくても良いじゃないか。最後にしても』
『いや、順番通りでいい。…それにしても、平和ないい人生だったな』
…というお話でした。
(うろ覚えなので違うところがあるかも知れません)
読んだときには背中が寒くなりながらも、こんなのあり得ない作り話だと気にも留めず、よくこんな話を考えるなあ、くらいにしか思いませんでした。
怖いのは、役人Aは多分若い設定のような気がするんですが、こういう『人類全体のために、世界中で毎日順番に誰かが◯される事が当たり前の世界』に生き、それに疑問を持たず、遂には自分が◯される順番が来ても『いい人生だったな』と言い切ってしまうところです。
多分、一方的にいきなり他者に命を奪われる事すら、仕方がないこと、逆らってはならない事と教えられて育ったのでしょう。社会全体のためには、自分のことは二の次三の次。
我慢しなさい。考えてはいけませんと。
ここは当時、すごい違和感と気味の悪さを覚えたものですが、今はあまりにリアルで恐怖を感じます。生きる権利や個人の人生を完全に他者が握っている世界に生き、それになんの疑問も抱かないんですから。
当時は単なる作り話と済ませられた話が、今あの話を思い出すと『作者さんは何らかの世界が見えていたのでは?』とすら思います。
まあ、間違っても見たくない世界ですね。
『人として当たり前の生活』
が、なによりも貴重で有り難い世界です。
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