今年のはじめに書いていたけど、なぜかUPする気が起きなかったもの。(加筆修正)
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去年から時々聞かれていたことではあるのですが…年始だからなのか、「今年はこうなる」という予言・予測的なものに出くわすことがいつもより多い気がする。多くの日本人にとって、不安でしかないようなこと。
でも、去年よりも少し下火になったのかな。
不安定要素があるという前提の予言なり予想だから、それ自体はいいと思う。何でそんなに不安を煽る伝え方なの? とは思うけど。
信じる人は信じればいいし、信じない人は信じなければいい、単にそれだけよね。
それでも集合意識に与える影響は皆無ではないだろうけど、なんて言うか、なんか変だよねえという感じがひしひしとするので、私は単純な興味だけで経緯を見ています。わざわざそれらの源を見に行くことはないです。
ただ、日本はそもそも地震災害が多い国だから、社会的経済的大混乱と、大災害とがいっしょに来なければいいな、とは思う。それは予言とか予測とは関係なく。
大きな動きをわかっている存在がいると仮定して、それがもう決定した流れであるとして、それを果たして教えてくるものか? 昔よりもはるかに繋がりにくくなってるのに? というのが、素朴な疑問。
ぶっちゃけそんなのはわからないのですよ。

それよりも、今日本を含め、世界中で起こっていることを知って、それらからどんなことが予想されるか、その場合どういう対策や心構えを持っておくことが必要なのか、その方が現実的ではないのかな。
ヒントなんて、少し前の歴史を見れば沢山ある。
ひとつひとつバラバラのようでいて、実は繋がっていたんだとわかること。一体何が起こったのか、どこに敵意が向けられ、どんな風潮に世界が支配されていったか、結果どんなことが起こったか。
そうすると今の風潮も、まんま歴史の繰り返しじゃん、としか思えなくなるのね。
救世主を待つのでなくて、かと言って自分が救世主になろうというのでもなくて、民には民のやり方、動き方、モノの見方、結果的に身の守り方があると思うのよね。
知っているのか知らないのか、気がつくのかつかないのか、それで全然違ってくる。old media の偏重ぶりはさすがにもうわかるでしょ。
例えば地震ひとつとっても、 十把一絡げにするのではなく、震源の深さという視点を持ってあの報道(?)を見たら、違う側面や意図らしきものも見えてくる。
大きく劇的な変化がある時には、どうしたってそれまでのものは壊れるよね。それは仕方がない。コップの中にドロ水が入った中に、飲み水なんて入れられないものね。
結局は誰を信じるか、ではなくて、情報をどうするのか、そこから自分はどうするのか、やっぱりそれしかないんだなあと思うんですよねー。
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