~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
自分と(考え方や言うことなど)違う存在を叩く風潮が決して珍しくない中で、たとえ自分と違う考え方であっても、それを尊重しようとしてくれる人がいるというのは、これ以上ないくらいの幸せだと思います。
親子でも夫婦でも、自分とは違う存在。
自分とは違う考え、主張を持っている。
それが超えることの出来ないものなのだとしても、相手が自分にとって唯一無二であることも、自分が相手にとっても唯一無二であることも、何も変わらない。
ぶつかるのも、真剣に相手を思ってのこと。
真剣に思うからこそ、辛い思いをしないでほしいからこそ、幸せであって欲しいからこそ、ではないですかね。
そうでなければ、当たり障りなくその場をやり過ごしてお終い、だと思うんですよね。
(関係が)近いからと言って、必ずしも相手が自分と同じ価値観であるとは言えない。
であるならば、相手が決断したのなら、もうその件は自分の手を離れているのです。(そもそも相手の決断は、自分の手のうちには無い。あくまでも自分の手の内にあるのは、自分の決断だけ)
先々、相手が迷うことがあるようなら、またその時に、自分に出来る事をすればいい。
そこには自分に出来ることと出来ないことが生まれて来ます。
その時々で自分に出来ることは何か。
ここでも、自分はどの方向へ行きたいのかが基本になると私は思いますが。
正しいのか正しくないのかは、現在あまり重要ではない…と感じます。
(どこに視点を置くかで、正しいの定義が全く変わるから)
先のことが不安になり、まだ来ない未来や、それに繋がりかねないまだ来ていない事に恐怖するよりも、既にここにある幸せに目を向ける方がずっと『行きたい方向』に行きやすくなるのでは? と思います。
そして、その『行きたい方向』へ行く手段として何があるのかな? 何が出来るのかな?
ということ。
ひとつひとつ数えれば、自分が出来ることは沢山ある。
尊重してくれる人、そのまんまを受け入れてくれる人がいる。逆も然り。
そんな事を考えると、私は今、幸せなんだと思います。
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