偏った情報を盲信する事ほど恐ろしいものはないなと思います。そしてそれ(情報)から受け取るエネルギーも結構なものです。
そういったもので心身ともに疲れている人も多いだろうと思います。
(溜まると心身ツラくなるから、自分にとって不要なエネルギーはどんどん抜きましょうね。→エネルギーデトックスワーク でね・宣伝)
先日、引っ越し以来久々に会った長男とお蕎麦屋さんに行ったのですが、そこでついていたテレビがずーーーっと同じことを流していました。
私はもうずっとTVを見ていませんが長男もTVを見ないので(長男は私以上に「アンテナ」が敏感で弊害が大きいため)、親子で黙々と食べている間中、なかなかしんどかったですね。
それでもこのところずっと食べたくて仕方がなかった天ぷらが食べられて嬉しいですが。
で、タイトルなんですが。
全てを盲目的に信じるのはどうかと思うのですが、かと言って全てを否定するのも違うよなあ…と思うのですね。
じゃあ何を信じるのかというと、うーん、何に沿って信じればいいのでしょうね。
それは人によって全然違うと思うのです。
悲観的すぎるのも疲れてしまうし、楽観的すぎるのも危ないだろうなと思います。
私はここに『違和感』を挙げます。
自分が違和感を覚えるか覚えないか。
ただ私の場合、他の人が何とも感じなくても
『なんか変』
と感じることが多々あるので、「アンテナ」が敏感すぎる方ではあります。(だから拾いすぎて負担になる。特に髪が顕著→余計に、不要なエネルギー抜きの対処が日々欠かせない)
それでもこれまでその違和感に沿った決断をして間違いはなかったので、これからも判断基準は【違和感があるか無いか】になるでしょうね。
(逆に違和感を無視して決断して結果的に失敗だったことはあります→それも本当の意味では『失敗』ではないんですけどね。単純に仕分けして書く意味で『失敗という言い方』をしてますけど)
今はまさに、『全てを盲目的に信じず、かと言って全てを否定せず』の時だなと思います。
一方向だけでなく、広く情報を得る事も大事ですね。
////////////////////