出会いと別れ
生きていると数々の出会いと別れを繰り返します。
自分は一緒にいたいと思って色んな手を尽くしているのに、何故か噛み合わなくなってくる。
向こうも恐らく同じであるはずなのに、互いに仕事やら身内のことやらで、それまでは問題なく交わってきた互いの糸が絡まなくなってくる。
喧嘩とか、嫉妬とか、不信感とか、そんなものがあったわけでも無い、ただただ、『自然に絡まなくなってくる』のです。
それが、意図してではなく、何故かわからないけど、絡まなくなってくる。
自分の意思とは別のところで互いの道が離れていく。そう考えるのが最も自然な感じの。
出会いと別れ、私の経験から
これは私の経験なのですが。
とても不思議だったんですよね。
本当に、不思議なほどに糸が絡まなくなるのです。
互いに現実に生きているはずなのに、別の世界にいる人のような感覚にすらなってしまう。
あの人は本当に現実にいた人なんだろうか、もしかしたら長い夢を見ていたのだろうか。
いや、あれが現実で、今が夢なんだろうか。そんな感じです。
とにかく不思議だったのは、『自然と』交わらなくなってしまった、という事でした。
あれ、なんかおかしいな。なんか、噛み合わないな。変だな。今までと違う。
何があったわけでもないのに。
そう気付き始めると、ますますそれが加速していきました。互いが違う流れに乗っていて、なすすべも無く離れていくのです。それを少し違うところから半ば呆然として見守っている。
一言で言ったら「互いの場所が変わった」ということなんですが、どうしてかな、としばらく考えていました。
必要な時に必要な人
そしてわかったのは、「その時の私にはその人が必要だった」「最も必要な時に、最も相応しい人を私自ら、人生の上に置いた」ということでした。
その人と出会った当時、私には強力なブースターが必要でした。それも生半可な力のでは無く、これまでに見たことが無いような超強力なブースターが。
それに相応しいと選んだのが、その人だったのだなと。
現世的には「偶然出会う」という形でしたが、自らその人を選んで「出会った」のだと思います。
このことがあってから私は、『人はその時その時で必要な人を自ら求めて出会うのだ』と、感じるようになりました。
生まれる前に互いに決めていたのかも
もしかしたらそれも、生まれる前に
「今度はこういう風に生きたいから、そうするとここでこういう体験をする。かなりキツくなる予定だから、その時にこういう形で助けてほしい。ここで出会ってほしいんだけど」
「いいよ」
みたいなやり取りがあるのかもしれないなとも思います。
だからその時に学ばなければならないことが終わると、そのために出会ったその人との縁も終わるのかも知れないなと。
そして次に学ぶことがあれば、またその時に最も相応しい人が現れるのかもしれません。
それは現世的に好いとか悪いとかでは測れない事なんだなと。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
これは子供の頃、当時はその意味も(想像は出来ながらも)よくわからないながら、好んで覚えていた歌です。
今になってみると、「ああ、そうだよねえ」と思います。
そうは言っても、出会うと情がとても濃くなる人もいるでしょう。身内よりも濃くなる人もいます。
生きる中でまたその人と会う(合う)必要があるのなら、この歌のように、再び会う(合う)こともあるかもしれません。
百人一首の昔から、人はずっと同じ気持ちを持っているものなんですね。