~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
エネルギーがわかる人は、情報に乗っているエネルギーを『みて』みるといいと思うのですが、わからなくても、
『自分が疲れるかどうか』
『自分が心地よいかどうか』
などで、自分にとってそれが(情報の真偽はともかく←ここ重要)どういう意味を持つのか の判断材料にはなるかなと思います。
注意すべき点は、『真偽はともかく』というところ。
自分にとって心地よい&都合がいいかどうかと、真偽は別ものなんですね。
真偽については色々な情報を集めて、或いは身をもって自分で判断するしかないんです。
(…といっても、その真偽も、どこ・誰・いつetc.にフォーカスするのかによって変わってくるんですけどね…誰かにとっては真でも誰かにとっては偽だったりもしますし…)
今すぐに判るものもあれば、時間の経過を見ないと判らないものもあります。
更には、自分が色々な意味で「望まない」情報は目に触れることすら無くなってきている(無いのと一緒になってくる)ので、情報を広く集めること自体が難しくもあるのですが。
情報を集める時でも、普通に生活している中でも、自分にとっては不必要なエネルギーが溜まってきます。
コロナ禍に突入してからは、敏感な人ほどそれが顕著でキツイのでは? と思います。
身をもって感じるのですが…コレ、実は、私は夜勤よりもキツいです。
そして、夜勤での対処とコレへの対処は別ものなんですよね。被るところもありますけど(どっちもエネルギー的対処が要るので)。
ちなみに、私は情報を集める時はネットからです。
リンク先を探った時点でダメなものはクリックしませんが、そこまでではなく、『読む価値があるかも』と思ったものは、多少負担がかかっても読みます。
ただやっぱり、大体は思った以上の負担が掛かるので(少し前まではここまでひどくなかったのですが)、現在それもなるべくやめているところです。
それでも不思議と、本当に必要な情報は入ってくるんですけどね。
盲信も危ないけど全否定も危ない、と言って調べるのにもある程度のリスクと負担がかかる。
もーーーー、どうしろっての!
と、言いたくなります。
こうなってくると、自分を癒せる、休ませる手段があるか無いかがとっっっても大事になってくるなという結論に結局は行きつくんですね。
いや、わかってたことなんですけどね。
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