~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 現役看護師NAMIです~~
松平容保と西郷頼母
この何年か、ずーっと欲しい欲しい言いながら、その辺に売ってなくて、そのままになっていたDVDをとうとう買いました。
白虎隊DVD
史実を元にしたフィクションです。
初めて観た時から何年経ったのかわかりませんが、やっぱり良いなあ。
鶴ヶ城…というか、会津は不思議と縁があって、その気もなく申し込んだミステリーツアー(行き先が当日にならないとわからないツアー)の行き先に鶴ヶ城が入っていたり、職場の社員旅行の行き先が会津(なので鶴ヶ城へも行く)だったり、これまで、行こうと思っていなかったのに何故か行くことになる、というのが多かったのです。
松平容保と西郷頼母
このDVDの他にも森繁久彌出演のDVDも持っていますが、どちらも会津藩主松平容保と、家老の西郷頼母の関係に目がいくんですよね。
松平容保・西郷頼母の生年月日と、生まれ年の干支がわかったので、鑑定してみました。(生まれ日の干支がわからないのですが)
松平容保
1836年(申)
2月15日生まれ
生れ日の干支が分からず、生年月日の『日』から受ける日破(凶数のひとつ)がわからない状態ではありますが、この人の持つ主要な吉数が全く破壊されていないことにまず驚きました。姓名数、名数の破壊がないだけでなく、以下に続く3吉数にも破壊が無い。これはなかなかありません。
戊辰戦争時、新政府側から斬首を要求され、戦争に敗れた藩主でありながらも敗戦後の時代を生きたというあたりは、この影響が強かったのでしょう。
大きな波乱の人生であった事とは別に、生命運そのものは強かったようです。
このかたは、非常に誇りが高い。そういう教育をされたこと以前に、生年月日からもそれが伺えます。
潜在的なものまで観ると、『終局』や、『あるところまで昇ると墜ちる』というものもお持ちでした。
そして究極の、と言えるくらいの理想主義を持っており、内に秘めた情熱の激しさは相当なものだったでしょうし、弱みを見せたくない人だったでしょう。
また、権威に対してとても弱かったですね。
大義名分や理想論で物事を動かしてしまうところもありました。
そして、物事はどんな苦しみが伴ってもやり遂げます。
突き進む強さがあると同時に、ひとつの考えに支配されると後に引かないところも強かったでしょう。
また、言葉でのコミュニケーションは上手ではなかったかもしれません。思うことがあっても、それを上手に表に出せる人ではなかったようです。
立場的には何も問題なかった(他の者がいくらでもその役をやるので)でしょうが、人を育てる能力には乏しかったようです。
なお、会津藩主になった年は主要吉数が破壊を受けてしまっており、京都守護職を受けた年は、拠点を示すところ(つまりはこの人にとって会津になるでしょう)が破壊を受けています。
西郷頼母
1830年(寅)
5月16日
この人は、忍耐力があり、武士としては情も深いですが、指導者タイプではなかったようです。
下の者への愛情深く、心もよくわかるので、人を育てることが上手だったでしょう。
弁も立った人ではなかったろうかと思います。その分口から失敗する事も多かった。
理性よりも理想が先に立つ面があり、走ってしまう事が裏目に出たのが、世間に広く知られる歴史に残っているのだろうなと思います。
頭を使って根回しする能力には優れていたのではないかと思うのですが、歴史の速さと容保さんとの相性故でしょうか、それが出来る状況ではなかったのかなと。
指導者タイプでは無かったですが、参謀としては優れていたはずです。如何せん情深いが故に、時代の考えとは合わなかったのでしょうか。
なんでも言ってよい、それが許された時代なら、この人は人心がよくわかるので、武人よりも先生に向いていたのではないかと思います。
容保さんとほ違う意味で誇り高い人。
容保さんが己の熱い理想のためであれば孤独も辞さないタイプであるとすれば、この人は『こうなるためにはこれが必要、だから皆こうあるべきなのだ』という理想を掲げるタイプの人。
この人が家老を継いだ年は、家族運と主人運が悪い年でした。
(もともとこの人は家族運が良くなく、暗転・凶転が起こりやすい生まれでした)
2人の生年月日からの関係性
お互いの主要吉数を破壊し合う間柄。
言い方を変えれば、お互いに欠けるところを相手が持っている。
平和な時であれば、ぶつかりながらも補い合いながらやっていけたのだろうと思います。
容保さんの理想論と突き進むことに、頼母さんがブレーキをかける。
頼母さんの気持ちが、容保さんには伝わらない。
でもお互いがそれと信じる理想のもとに、最後までやり遂げようと死力を尽くす。
そんな姿が、名前と生年月日からは見えてきます。
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