今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
私の両親は47歳で(私の子の)祖父母になったので、私も孫がいても全然おかしくない年齢です。
よく、孫は実の子よりかわいいと言われます。
そしてしばしば、祖父母が育児に口を出して子の両親に煙たがれる話も多いですね。
これって単に孫がかわいいから、だけではなく、自分の経験から、より広い、より高い視野と視点でものごとを見る事ができるからじゃないのかなーと思うんですよね。
Aからしか見れなかった若い頃と違って、重ねてきた経験から、aからもBからもbからも、その他にも多方面から物事を見ることができる。そして予測もできる。
だからつい、口を出したくなるんだろうなあと。ひとえに、孫が可愛いがゆえ。
私も【今の私の記憶を全て持ったまま】(←ここ重要)過去に戻って子育て出来たら、どれだけ子供の人生にとってプラスになるだろうか、と思います。
少なくとも私が若い時の子育ては、【Aと言ったらA】しかない、と思い込んだ子育てをしてしまった。
独身の頃は育児書に振り回される人を覚めた目で見たりしていたけど、いざ自分がその立場になると、
【せめて平均的な子でなければダメなんだ、劣っていてはダメなんだ、〇〇ができないとダメなんだ…】
と、随分と自分を追い詰めた子育てをしていたと思います。当然子供も追い詰めました。
婚家のゴタゴタが酷い中での子育ては、ほんの少しの(精神的な)余裕もなかった。
他の母親からの我が子への嘲りもあり、せめて平均的な子にしなければ、私も子供も社会で必要とされないと思っていました。
でも、この年まで生きてくると、何があんなに不安だったのだろうと思います。
言っていいことと言ってはいけない事の区別もつかない程度の、よその母親が言った言葉になど、一体どんな重みがあったのだろうと。
それでもあの当時は、それ(外からの評価)が自分と子供の世界の全てになっていました。
後悔は多いです。
というか、私の子育ては後悔だらけです。
やり直せるものならやり直したいし、今の記憶を全て持ってあの頃に戻れるものならと思います。
でも、それも、『そうじゃないんだな』と最近思えるようになりました。
子育てをやり直したい、と本気で思うのは、今の息子たちを否定する事になるんじゃないかと。
ただただ、一生懸命に育てた。
子供の寝顔を見ては泣き、誰にも相談もできない環境に迷い、恐れ、不安を抱え、それでもとにかく一生懸命だったことだけは胸を張って言える。
それでいいんじゃないかと。
ひとり立ちを間近にした長男、既にひとり立ちしている次男。
真っ当に一生懸命に生きている息子たちがいる。
それでいいじゃないか。
もし息子たちが自分の子を持つようになったとしたら、求められた時にだけ経験からの助言ができたらと思います。
【過去の自分】の価値観ではなく、【今の自分】の価値観で。
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