Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

凪ぐこと

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先日の記事で書きましたが

「楽しいを拠り所に」

を、あんまりガチガチにとらえずに、ゆる〜っととらえてやっています。

 

それで、私は今、何をしたら『凪ぐ』かな?

 という事をふと思うことが多くなりました。

 

ダントツでものすごい「凪」になるのがすぐに見つかりました。

 

私は今、長男と住んでいます。

一昨日、とてもとてもそうしたくなって、長男の食事中に後ろからそっと腕を回してみました。

「え、な、何?」

と、びっくりされましたが。そりゃそうだ(笑)

そのときにスラスラと出てきた言葉があるのです。

 

『お母さんは、●●が小さいときにもっとこうしたかった。でも、出来なかった。だから、今やりたいんだ』

 

ハグというには少し違うのですが(ご飯食べてる最中だったし)でも長男の温もりが伝わってきて、『あー、もっと早くこう出来てたら良かった』と。

 

 

 

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今だからわかるんですが、子供達が小さい時、私は、男であらねばと(深層で)思いながらずっと何かと戦っていたんですよね。

男から母親になったのは、子供達が寝た後だけだったかもしれません。

 

先日、リワインドセラピーを受けながら何かが変化して、ずっと自分に禁じていた事をやってもいいように思ったんです。

 

で、やってみた。

 

そうする事が自分の『凪ぎ』になると、何となくわかったのです。小さい子にするように頭を撫でたりもしました。

はたから見たら「何このお母さん」かもしれませんがね(笑)

まあ、別に見てる人もいないし(笑)

 

 

念のため言っときますが、いくら自分がそれで救われるから、やりたいからと言って、他人(家族であっても)がそれを嫌がったらやるべきではないですからね。

それは、相手を無視した自分の価値観の押し付け、他人を自分と一体視している以外のなにものでもありません。

 

 

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昔、子供を抱きしめるというそんな当たり前のことを、何故気の済むまでしなかったのかな。どうして「男として」戦わないといけなかったのかな。

 

その「何故」を紐解いていくと、やっぱりそこには深いものがあるのです。そしてそれがあるからこそ、同じような事を繰り返すんですね。

 

でも、もういいよね。

もうその怖さ、不安、少しずつ『解放してあげ』てもいいよね。

 

そう。「解放される」、だけではないのです。

解放されると同時に、「解放もしてあげる」という事なんだなと。

 

それと、不安や恐怖って、【あっちゃいけないもの】【無くさないといけないもの】じゃないんです。

不安も恐怖も、自分を守るためにずっと中に在ってくれたもの、だから。

それが無いと生きられない時期もあり、それがあったからこそ、危険な目に遭わないで済んだ時期もあった。

でも、今はもうそれ要らないよね、というものもあるのです。

 

『要らない! なんでそんなものがあるの!』

と、つい考えがちですが、もしかしたら不安や恐怖の方こそが、『もう私は役目を終えたから、解放されたい』と願っているのかもしれないなあと。

 

それを解放しないのは、他でも無い自分なのだとしたら。

解放せず、「そこにあり続けさせる」事で、きっと「何かしらの目的」を私は果たして来たのだろうなと。

長男の背中の温もりを感じながら、そんな事を考えていました。

 

 

…で。

そこまで進むことができると、エネルギーデトックスワークでの抜け方もまるで違ってきました。

私はこれまでにも結構抜いてきていますが、『これまでと違う感じのもの』が抜けるようになっています。

それを感じて、『ああ、ほんとは外に出してもらいたかったんだね』と思いました。

許可しないと抜けないというのが、よくわかりました。それも口先ばかり、形ばかりの「許可」でなく。

 

1dayセミナーでも言っていますが、【浅いところが抜けて初めて、深いところが抜ける】のです。

 

言葉で言うと簡単だけど、ほんとに、浅いのをまず抜かないと、深い深いところにあるものにまで到達出来ない、『深さ』があることすらわからないんだと実感します。

ただ、私の場合はもともと『違うところのもの』も抜ける人だったので(今はあえてそうならないように設定している←疲れるので)みんなが私と同じようにとはいかないですが。

 

でも、浅いのが抜けるからこそ深いのが抜けるのはみんな同じです。

 

個人セッションでも1dayセミナー(そしてセルフワーク)でも、不要なエネルギー抜きって大事です。

 

…て、こういう経験をしてしまうと、実は私は今はもう、『不要』なんて言い方はとても心苦しいんですよ。便宜上言いますけどね。

 

何故ならその不要なエネルギーだって、『自分が取り込むと決めて取り込んだ』とも言えるのだから。

だけどそれが溜まり続け不調を起こしてくるのであれば、やっぱり対処は必要なのです。

 

そう。これはこれ、それはそれなのです。

 

 

 

 

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10月16日 1dayセミナーのお知らせ

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10月の1dayセミナー開催のお知らせ。

 

●10月16日(水)

●10時〜模擬セッション15時

●北千住(場所は後日ご連絡)

 

になりました。

 

なお、セミナー後、お一人様のみ

同じ会場にて

NAMIによるエネルギーデトックスワーク個人セッションをお受けいたします。

(セミナー参加者以外でもお受けいたします)

 

ご希望の方はメニューをご覧頂き、

セッションについては下の「お問い合わせ」からご連絡下さい。

 

 

 

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「楽しい」を拠り所にしていきたい

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自分の足元には既にいくつもの選択肢とそこから続く道が延びていて、その中から何を選ぶかによってどんな自分になっていくのかが決まるんだけど。

 

選ぶときに「何を拠り所にしているのか」ってのは、自分で思う以上に重大な事だし、

そもそも何を拠り所にして選んでいるのかという事には、気がつかない事が殆どじゃないかと思う。

 

「拠り所」と言ってしまうと難しいですが、つまりは「癖」です。それを基準にして物事を考え決めるという癖(それも相当根深い)があるという事です。

 

例えば私は、子供の頃から『不安』を基準にして物事を考え、何かを選んできました。

 

子供の頃には『親が死んでしまったらどうしよう』という不安。(→親が死んだら生きていけないから、子供としては当たり前の不安ですね)

 

長じてからも私には常に不安がありました。

 

「自分にとって楽しい事なのかどうか」ではなく、「こうなると困るから」「こうならないように」という基準で物事を考え、選択をしてきました。意識する事なく。

 

勿論、世の中には最悪の事態を想定して動く事が必要になることもあります。

 

でも、そうではなくて、どんな選択においても、私がそれを選ぶ基準としていたのは不安と恐怖が前提で、それを避けたい、というものであったという事。

 

不安がその通りにならないように。

恐怖がその通りにならないように。

そのために選択をしてきました。不安と恐怖が『当たり前にそこにある』というのが前提だったのです。

 

不安と恐怖がある事は当たり前。あまりにも当たり前だから、それに気づきもしなかった。

 

何も大きな選択ばかりではありません。

 

 

例えば先日の買い物。

なぜか、「こっちのミニトマトが食べたい」という強い体の声。

 

 

いつもなら、「同じミニトマトなら、安い方がお金を使わずに済む」=「貧しくなりたくない(不安と恐怖)」「貧しくならないために(貧しくなるのが前提)」「安い方を選ぶ(ほんとはこうしたい、という声を打ち消す)」

という選択を当たり前にしていました。

 

ああ、そこには、「節約出来てすごいね」「我慢出来て偉いね」と褒められたい、自分で満足したい、「なに無駄遣いしてんのと誰かから非難されたくない」というのもありましたね。

あとは…我慢が人として当たり前、耐えるのが人として当たり前という価値観。

 

誤解して欲しくないのは、実際お財布にお金が無く、明日暮らすお金もないのに、それでも高いものを買いましょうというのではありません。

そういうことではないんです。

与えられた範囲の中で、どこまで自分の望みや、楽しみを見ることができるのか、という事です。

 

私はもう習慣的に、自分の声を黙殺することに何の疑いも持たなかったどころか、気がつくことすらなかったという事なのです。

 

平穏、平安でいる事すら、自分に許していなかったと思います。私は、波乱万丈でいなければならない。

それは何故なのでしょう。

これには内観がいる事です。

こうして気がついたからには、書き出しをして行きますけどね。

 

 

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今がどんな状態なのかというと、一気に色々な事が起こって背水の陣を敷かれ、こういう状態になってやっと内なる声に気がつく事ができた、という事です。

 

この半月、本当に本当に全てにおいてシンドかった。

なんとか気力でやり過ごしてきましたが、もう体が限界にきているのがわかった。

これまで普通に食べていたものが喉を通らなくなり、食べるものが無いところまで行って、やっと体の要求、自分の求めるものに耳を貸せるようになったという事です。

 

でも、ここまで自分を追い込む必要はなかったんです。元から自分の声を聞くことが出来ていたならね。

逆を言うと、ここまでならなければ自分の声を聞く事すら出来なかったという事です。

 

不安が前提、恐怖が前提の考えだから、目の前に現れるのは不安なこと、恐怖を感じることになる。

そしてそれに対処する。その繰り返し。

 

繰り返すほどに不安があることも恐怖があることも当たり前になり強化されて行く。意識なんて出来ない。

だって自分が「それが当たり前」という事を「選んでいる」わけだから。

 

じゃあ、どこで気がつくのか。

 

それが、まったくちがう価値観を持った人からの言葉だったり、テレビからふと聞こえてきた言葉だったり、夢だったり、映画だったり、本だったり。

 

だから学びって本当に大事だと思うのです。

「自分1人」で何かに気付こうとしても、無理です。

 

だからこそ他人がいるんですよね。

鏡なんです。

自分の色々な面を、色々な人を通して見せられるんです。

 

ただ、知識を単に知っているだけでは変わりません。それを行動に移さないと変わらないんです。

 

私の場合なら、「不安と恐怖を拠り所にするのではなく、何が楽しいのかを拠り所にする」という事。

大きな事でなくてもいい、例えば自動販売機で飲み物を買うときに何を選ぶのかみたいな小さなことでもいい。

自分が本当に望んでいるのか、楽しいと思えるのはなにか、ということです。

 

そういうところから、『不安や恐怖にフォーカスし続ける』から『自分が楽しいことにフォーカスする』に変えていけるのだと思います。

1つ1つ、積み重ねることなんです。

 

あなたの周りには、どんな人がいますか?

その人は、あなたの一部を写しているのかも知れません。その人は、自分がどんな癖を持っているのかを知るヒントなのかもしれません。

自分が変わることの出来るヒントを示しているのかもしれません。

 

あなたが楽しい(嬉しいではなく、楽しい)と思うことは何ですか?

好きなものはなんですか?

何も思い浮かばないですか?(私ははじめ、ホントに何も浮かばなかった)

音楽? 本? 旅行? 友達との語らい? お風呂? 寝ること?

少しでも「これかな」というものがあったら、それをやりましょうよ。

そして、じゃあ何故、それを楽しいと思えるのか? それのどんなところが楽しいのか? を、少し突っ込んで探ってみましょう。

 

例えば、私は不思議なくらいに『JIN-仁-』が好きで、今でも見ることが多いです。

見ていて不快なら見ませんよね。何か惹かれるものがあるから見るのです。

それってなんなのだろう、と考えたら、あのドラマに一貫して存在していた、

『今この時を選択し行動し生きることで、未来が変わる』

というところに、たまらなく惹かれるのだと。

つまり、『【今この時】をどう選択しどう生きるかで、未来は変えられる』ということを、私の本心が欲しているのだ、ということなんだなと。

もっというと、『不安、恐怖が当たり前に常にある【今ここ】から、行動と選択で未来を変えるのだ』ということを欲しているということなんだなと。

 

 

 

実はこれね。

圭子さんの『リワインドセラピー』を受けながらの会話の中で見えてきたことです。

(圭子さんは、当協会の認定セラピストさんでもあります)

 

 

体からのアプローチ(リワインドセラピー)が、こんなにも心(と、もっと深いところ)にも効くのだと思います。

全てが別個に存在するのではないんですよね。

それぞれが関連しあっているんです。

体、心、エネルギー。

 

 

平穏である事を自分に許可しよう。

「楽しい」を拠り所にしていこう、と思います。

 

追記)圭子さんのリワインドセラピーが終わった瞬間に、別の人の体みたいに軽くなっていました。本当に受けに行って良かったです。感謝です。

 

 

 

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「赤」が欲しい

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どうも今、私は「赤」を欲しているようです。

 

何年も、毎朝飲んできた飲み物があるのですが、このところ体が受け付けなくなっています。

全力で胃が「要らない!」と言っているのがわかります。

 

でも今日は出かける予定があるし、取り敢えずエネルギー源は入れないと、と思って飲んだら、ふた口がやっと。

 

うーん。

ずーっとこれで順調に来てたのになあ、もうこれじゃないのか。

 

実は昨日買い物していたら文字通り『渇望』したものがありました。

ミニトマトです。

それも、買ったことない高級ミニトマト。

ちっさいパックで5百円もするシロモノ。

イヤイヤ、いつものでいいよ…と思って一度はいつもの安いのを手に取ったんだけど、カゴにも入れたんだけど、どうにも後ろ髪を引かれる。

で、高い方を買いました。

何が違うのかわからないけど。とにかくその時私の体は、そっちのトマトだったのです。

 

「トマトかー、ビタミンってことかな?」

とも思って果物コーナーも回りましたが、トマトみたいな激しい渇望がありませんでした。

 

そして、いつもは目がない(なんなら人の分まで食べるw)甘いものには全く手が伸びず。

 

 

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そして今朝は、「イチゴ」でした。

(実は昨日もトマトほどではないけど「イチゴ」も来ていたのです)

イチゴが食べたいと。イチゴかー、売ってるのかな。冷凍でもいいのかな。

 

余談ですが、買い物の最後に「Coca-Colaストロベリー」というのも見かけましてね。

「イチゴだ!!」

と、ほとんど反射で買ってしまいました。

(当たり前ですが、飲んでも全く体が満足するはずもなく←少しは飲んでみた←無駄とわかってたのに←よいこは真似しちゃいけませんw)

 

そういえば、バッグも少し前に、何故か赤を買っていました。

赤なんて、これまで一度も買ったこと無いんです。赤自体、買わない人です。

でもそのバッグを見た瞬間、(買う気もなかったのに)これしか無い、という感じでした。

 

 

そうかー、赤なのか。

 

赤って生命エネルギーの象徴だからなあ。

それを外から補わないといけないとは。やっぱり結構疲れてるな…。

ゆっくりお風呂に入って寝てるけど。横になれば瞬殺で寝ちゃうんだけど。

 

 

だから今日は、あるボディセラピーの予約を急遽入れたのです。

こりゃプロの手が必要だなと。

いくらエネルギーデトックスワークで要らないものを抜いていても、それはエネルギーに関してだけの話だからね。

エネルギー以外のボディケアやメンタルケアはまた別もので、対処が必要なのですよ。

 

 

 

 

 

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ワンデーセミナーでした

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昨日はエネルギーデトックスワーク協会の1dayセミナーでした。

 

久しぶりのかた、

初めてのかた、

超ベテランのかた、

とバラエティに富んでいましたが、

本当にいつも思うのは、その時その時のメンバーで違いが出るというか。

基本はテキストに則ってやるのですが、それ以外のところで。

 

ブログには書けないことも最近は多くなっているのですが、そのメンバーに相応しいことなんだろうな、という事を言っていたりとかします。

顕在意識ではピンと来ない事でも、潜在意識は聞いているようなイメージ。

 

あとは、毎度毎度、場のエネルギーの圧力はすごいものがあります。

 

1dayは、座学とワークで構成されています。

午前中は座学中心、午後はワーク中心となります。

 

ここで本当に頼りになるのがベテラン認定セラピストさんたち。

講師が特に重点的に指導したいかたに付ききりになることはもう、当たり前にあるのですが、そんな時でも他のかたの指導を安心して任せられる、うちのベテラン認定セラピストさんはそういうレベルです。

(また、それが更に認定セラピストさんたちのレベルアップに繋がるのですが)

 

 

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私はもともと、『自分が全部やらなきゃいけない』という価値観で生きてきたので、人に任せるのが苦手でもあります。

でも、『人に任せるというのは、その人を信頼しているからこそだ』というのがわかるようになりました。

信頼していなかったら任せるなんて出来ませんからね。つまり、わたしには信頼して背中を任せられる人が、こんなにいるんだなと。

 

(注   丸投げとか、押し付けるとか、人任せにするとか、そういう事とは全く違いますからね)

 

現在は高次の事情が変わっている過渡期なので、色々あるにはあるんですが、そんなわけで多くの方に助けられながら開催しております。

 

 

今回の参加者のもりしーさんから、感想を頂きました。

ぜひお読みくださいまし。

 

 

 

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見えない竜巻というか、壁というか、課題というか…

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このところ食べられない、というか、

食べることへの欲が無くなっていたというか。

 

お腹が空かない。

 

息子には

「食べなさい、まず体に必要なものを入れないと、満足に動けないし頭も働かない。いざという時の気力が違ってくる」

といつも言ってるんですが…

まあ、息子たちは二十代なんで。

やっぱり生命維持のためのエネルギーは、まずは食物からとらないと。ねえ。

 

 

私の方は、こんなに食べなくなったのはいつ以来かねえ。

 

 

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凄まじい量の不要なものを日々出しています。

ゴミ袋をまとめて集めると、

『ゴミ屋敷か、ここは』

と錯覚するほどの量が、つい昨日までありました。

あんまり一度に出すと、集積場のゴミ入れが一杯になってしまうからね。小分けに出すんですよ。

 

とりあえず一段落したものの、粗大ゴミがまだまだ。

『つづら一個で動く』

のイメージで片付けているので、そういう基準で見ると、本当に要るのかと自分に問うと、いや、無くてもいいかとなるのです。

 

長男も自分の部屋の中の選別を続けていまして、先日は子供の頃からあった勉強机を自分で分解して2階から1階へ運んでありました。

要らないなぁと思いながら、私がずっと見て見ぬ振りをしていたものです。

重かっただろうに。スゲエ。 さすがだな。

そちらからも大量の物が排出されております。

「あとは服と、本だな」

と言っているので、まだまだ出ます。

 

彼はアンテナが敏感で、情報が必要以上にあると非常に消耗してしまうので、これを機に、「周りのもの」の選び方と(モノだけで無く、情報も含め)捨てかたの基準を学んでもらえればと思っています。

 

アンテナが過度に敏感といえば次男もなので、やっぱり「本当に必要なのかどうか」の判断が出来て(モノに限らず)、必要でないものは初めから持たない、あるいは手放す、という事を学んでくれるといいなと思います。

次男は「容れ物」が一杯一杯になると、「あなたの知らない世界」的な影響がすぐ来るからさー。

次男こそ、つづら一個のイメージでいるのがいいんですがね。

長男もね。

…て、みんなじゃん(笑)

 

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まあ、それの最たるは私かねえ。

一応、彼らよりも先に生まれてますからね。

そういうのを教える役目もあるんですわ。

口でなく。背中で。(言うことはカッコいいが超ビビリです、ハハハハハ)

 

そんなわけで、ここまで色々なもの(モノだけで無く)と別れた、別れるのは生涯初。

どんどん捨ててみれば、実は私って、必要なものって本当に少なかったんだなというのがなんと無くわかる。(しつこいけどモノだけの話じゃなく)

 

これまでの価値観とか、枠組みとか、「こうでないといけない」みたいな当たり前のことを外すとかね。自分ではあまりに当たり前すぎて、疑問も持たなかった事とかね。

現象としては「モノ」が分かりやすいですが、現象として大きく動いている時というのは、見えないところでは同時に、竜巻が発生しているみたいなものなんですよ。

現象面だけとか、メンタル面だけとか、見えない系だけとか、それって多分ないんじゃないですかね。同時に来ますね。

 

 

竜巻の後には、更にそれを別のものに組み替える作業が、見えないところではされているんですなぁ。

だから当然、その渦中にいる時は苦しくもあるのですよ。

 

 

で、冒頭の話、「全然食べる気にならない」に戻ると、多分、「余計なものを入れないほうがいい時期」だったんだろうなと思います。

勿論相当メンタル面もキツイから、そのせいもありますよ。消化管って自律神経の作用バリバリに受けるからね。

 

 

でもそんななか、今日は懐かしの空腹が来るようになってきたので、久しぶりにスコーンを食べましたよ。成城石井の。(冷凍しといた)

 

そして何故だか『JIN〜仁〜』がやたらと観たくて、ここ何日か、ずーーーっと仁を観続けていました。テレビは見ないけどJINを観るためにテレビを点けてました。

 

それもなんだか落ち着いてきたので、何かしらの段階がひとつ済んだのかなと思います。

 

まだ続くのはわかってるんだけど。

 

 

 

 

 

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きっとここを越える。

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「腹決めろ」

と、まるで言われているかのように、どんどん周りが大嵐のように動いているNAMIです、こんばんは。

(↑ボーゼンとしつつ、何となくそうなるのかなと思ったように進んでいるのが怖くもあり、怖くもあり←要するに怖いw)

 

息子たちに話し、昨日は老いた両親にも話し、

今日の昼は仲良くしている数少ない友人(←実は人付き合いが苦手なので友人は少ない)にも話し。

 

みんなそれぞれが私を心配しながらも

固い決意をわかってくれて、

特に両親は子供の頃から言い出したら退かない私の性質をわかっているので、父などは

『そうか、わかった。もうお父さんは年を取ってしまって、なにもしてあげられないけど』その後に続く言葉。

『きっとやると信じている。心配はしていない』

 

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それが済んだと思ったら今日の午後には具体的な話が入った。

 

そうか。そうだよな。

体が震えた。

 

いよいよだ。

後戻りはもう出来ない。いや、しない。

ゲームオーバーになんてしない。

 

まだ少し先だけど、全てが生まれて初めての経験を、この歳になってすることになる。

人に頼らずに。

私の力で。

 

怖くて怖くて時に吐きそうになる。

 

でも、越えてやる。

なんとしてもこれを越えてやる。

 

やるんだ。絶対にやるんだ。私が。

 

変えるために。

変わるために。

 

 

 

 

 

 

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◆お題◆「アラジン実写版」と「引っ越し大名!」

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お題「最近見た映画」

 

先日来た次男にすっごい勧められて

次の日で公開終了だったので急遽その日のレイトショーで観てきました。

 

『アラジン』

 

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…王様(ジャスミンのお父さん)、めっちゃまとも(笑)

アニメの王様はちょっとアレだったじゃないですか。この王様はちゃんと王らしい。

で、ウィル・スミスはやっぱりいいねー!(ファン)

 

もう吹替しか無かったんですが、字幕で

「A whole new world」が聴きたかったなー。

吹替の「A whole new world」も良かったですよ。両方聴きたいなと思っただけ。

 

アニメとほぼ同じ展開で、まあ、細かく言えばそりゃ違うところもあるけど、ダンスのシーンとか、アリ王子登場のシーンとか良かったなあ。

映像が迫力あってやっぱり綺麗。大きなスクリーンで観る醍醐味ですね。

ジャファーもアニメよりずっとよくなってた。彼なりの悪党の美学みたいなのがちゃんとあって。

 

 

で、その2日後には『引っ越し大名!』

 

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これ、何ヶ月か前に、初めて映画館で予告編を見てからずっと、妙に気になっていたんですよ。

 

コメディなのかなと思っていましたが(そして単なるコメディだったら全然観る気は無かったんですが)コメディの中に真髄あり、みたいな感じでした。

思わず泣けましたよ。

 

何を選んで何を手放すのか、全てにおいてそこなんだなあと。引っ越しに限らずね。

 

武士からお役御免となって農民となり、いつか再び戻れる日を待ち望み、15年後に念願叶って戻って行く人々、「自然と共にあるこの暮らしがしたい」と残る人々。

 

藩主の松平直矩という人は国替えばかりさせられ実際に「引っ越し大名」と呼ばれていたそうです。

江戸時代のあんな距離の国替え、どんなに大変だった事でしょう。

 

なんか、ちょっと喝を入れられたような、そして元気付けられたような。

 

そして主人公の成長がすごい。

経験ってやっぱり何よりの大きな自信となり、大きな力になるんだなと、あえて見せてもらえた感じ。

 

あー、観て良かったです。

 

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