このところ食べられない、というか、
食べることへの欲が無くなっていたというか。
お腹が空かない。
息子には
「食べなさい、まず体に必要なものを入れないと、満足に動けないし頭も働かない。いざという時の気力が違ってくる」
といつも言ってるんですが…
まあ、息子たちは二十代なんで。
やっぱり生命維持のためのエネルギーは、まずは食物からとらないと。ねえ。
私の方は、こんなに食べなくなったのはいつ以来かねえ。
凄まじい量の不要なものを日々出しています。
ゴミ袋をまとめて集めると、
『ゴミ屋敷か、ここは』
と錯覚するほどの量が、つい昨日までありました。
あんまり一度に出すと、集積場のゴミ入れが一杯になってしまうからね。小分けに出すんですよ。
とりあえず一段落したものの、粗大ゴミがまだまだ。
『つづら一個で動く』
のイメージで片付けているので、そういう基準で見ると、本当に要るのかと自分に問うと、いや、無くてもいいかとなるのです。
長男も自分の部屋の中の選別を続けていまして、先日は子供の頃からあった勉強机を自分で分解して2階から1階へ運んでありました。
要らないなぁと思いながら、私がずっと見て見ぬ振りをしていたものです。
重かっただろうに。スゲエ。 さすがだな。
そちらからも大量の物が排出されております。
「あとは服と、本だな」
と言っているので、まだまだ出ます。
彼はアンテナが敏感で、情報が必要以上にあると非常に消耗してしまうので、これを機に、「周りのもの」の選び方と(モノだけで無く、情報も含め)捨てかたの基準を学んでもらえればと思っています。
アンテナが過度に敏感といえば次男もなので、やっぱり「本当に必要なのかどうか」の判断が出来て(モノに限らず)、必要でないものは初めから持たない、あるいは手放す、という事を学んでくれるといいなと思います。
次男は「容れ物」が一杯一杯になると、「あなたの知らない世界」的な影響がすぐ来るからさー。
次男こそ、つづら一個のイメージでいるのがいいんですがね。
長男もね。
…て、みんなじゃん(笑)
まあ、それの最たるは私かねえ。
一応、彼らよりも先に生まれてますからね。
そういうのを教える役目もあるんですわ。
口でなく。背中で。(言うことはカッコいいが超ビビリです、ハハハハハ)
そんなわけで、ここまで色々なもの(モノだけで無く)と別れた、別れるのは生涯初。
どんどん捨ててみれば、実は私って、必要なものって本当に少なかったんだなというのがなんと無くわかる。(しつこいけどモノだけの話じゃなく)
これまでの価値観とか、枠組みとか、「こうでないといけない」みたいな当たり前のことを外すとかね。自分ではあまりに当たり前すぎて、疑問も持たなかった事とかね。
現象としては「モノ」が分かりやすいですが、現象として大きく動いている時というのは、見えないところでは同時に、竜巻が発生しているみたいなものなんですよ。
現象面だけとか、メンタル面だけとか、見えない系だけとか、それって多分ないんじゃないですかね。同時に来ますね。
竜巻の後には、更にそれを別のものに組み替える作業が、見えないところではされているんですなぁ。
だから当然、その渦中にいる時は苦しくもあるのですよ。
で、冒頭の話、「全然食べる気にならない」に戻ると、多分、「余計なものを入れないほうがいい時期」だったんだろうなと思います。
勿論相当メンタル面もキツイから、そのせいもありますよ。消化管って自律神経の作用バリバリに受けるからね。
でもそんななか、今日は懐かしの空腹が来るようになってきたので、久しぶりにスコーンを食べましたよ。成城石井の。(冷凍しといた)
そして何故だか『JIN〜仁〜』がやたらと観たくて、ここ何日か、ずーーーっと仁を観続けていました。テレビは見ないけどJINを観るためにテレビを点けてました。
それもなんだか落ち着いてきたので、何かしらの段階がひとつ済んだのかなと思います。
まだ続くのはわかってるんだけど。
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