あなたはいつまでストレスの種を育て続けますか? - Harmonize
好きな人とか、逆にイヤな人のことというのは、とかく気になるものです。
「気になる」という一点にのみ焦点を当てたら、それが(表向き)ネガテイブかポジティブかという違いがあるだけで同じことと言えます。
好きだろうが嫌いだろうが、「関心がある」「その人に心を向けている」ということですから。
あの人嫌い!
あんなことするなんて!
あんなこと言うなんて!
許せない!
というのは、人としては当然の感情です。そしてそれがいいとか悪いとはないのです。
ただ、いつもいつもそれを、その人の嫌なところを考えているというのは、当然ですが常にその人のことを考えているという事になります。
かつては私も、人のことは言えませんでした。
不倫された当時は、随分と長い間、そのことや相手女性のことを考えていました。ここには書けないような復讐の方法とかね。そのためのモノは手元にありましたし。
辛うじて理性が勝ったおかげでやらなかっただけです。理性が負けていたら、やったかもしれません。
やれば相手は相当大きなダメージを負ったでしょうが、自分も同じようにダメージを負ったでしょう。自分だけでなく、家族にも。
最終的には家族(子供)の存在がブレーキになったのです。
…と、私のことは置いておいて。
頭の中でその人のことを考えているというのは、貴重な時間をその人のために使っているという事になるとわたしは思います。
時間は有限です。
当たり前のように朝になると「生きている」。心臓は動いている。
でも、明日もそれが当たり前にあるという保証はどこにもないのです。それは今日までかもしれない。
そんな有限の時間を、「いつも考えている」という事で「自分にとって嫌な人のため」「自分にひどいことをした人のため」に使っているのは、どうなんでしょう。
勿論、その人の時間です。どう使おうが、その人の自由ではあります。結局は使いたいように使えばいい、となる。
が。
かつての自分に対してや、もしも大事な人がそんな風に時間を使っていたら、「ほんとにそれでいいの? あなたはその人のために限られた時間を使っていたいの?」と言うと思います。
でもね、わかるんですよ。
憎しみの渦中や嫌悪の真っ只中にいる人には、そんな言葉は届かないであろうことは。
何故なら自分がそうだったから。
ただ、今は無理でも、いつか「そういえば、誰かがそんなことを言っていたな。確かに時間が勿体無いかな」と思い出す時があったらいいなと思って、今、書いています。