超、チョー! チョー!!!
スピ的な話です。
いつもよりもっと感覚的なほうに偏っているので、ご了承下さいませー。
どんな大型船に乗っていようが、
海の大波や潮流に逆らって進もうとすると、
ものすごいエネルギーを使う上に、恐らくは行きたいところにはちゃんと行き着けないのでは? と思います。
人生は波とは、よく言ったものですねー。
このところ、怒涛の勢いで色々色々ありまして。プライベートでも仕事でもスピ的なことでも。
肚は決まっているので悩んではいないんですが。
肚は決まってても、怖いね。それは話が別なのよ。
ここまでの経験がない&予測の遥か上をいく事ばかりなので。怖いのはもう、仕方なかろうと半ば開き直ってるのね。
変わることは怖いことなので、しょうがないんですわ。
「現状維持でいようよ!」
「ほら、この条件ならどう? これならこのまま、留まれるんじゃない?」
「絶対その方が楽だよ! だって慣れてるんだから! 何も全然経験のない怖いところに行くことないじゃん! ここにいようよ!!!」
…的な働きも、すんごい来てるし。
私だけでなく、潜在意識も相当恐ろしいんだろうなあ。だからあの手この手で「【今の場】に居続けさせよう」という現象を起こして来てるんですよ。単に「場所」じゃなくて、「場」ね。
それが本当に露骨というか、よくわかるのです。と言うことは、それだけ大きな変化が起きつつあるという証明でもあるんだよねえ。
そして。
決断するのは自分なので、(上からも最終的には『決めるのは自分』と言われる。当たり前だね)この期に及んで上に「どうしようか」と尋ねたりアドバイスをもらうといった次元の話では、もうないのです。
こんな潮流がなんで私なんぞに来るものなのか、と思うような大きな潮流に、どうやら乗ったように思います。
先日の記事にも書きましたが、
減薬になった事とか、いろんな感じとか。 - Harmonize
去年の私が全く予想できなかった状況が今です。
去年も色々流れは来ていましたが、今の流れとは質が違うし速さも大きさも全く違う。
去年は少なくとも、怖さはなかったからね。
自分から動いたその上での事なのは今までと同じですけど、今は「周り(どうみても上)から段取られている」のです。
こういう言い方はアレですけど、包囲網が狭められていているというか。
いやーーー、だけどね。
『マジか、そこまでやるのか! ていうか、そこまで出来るのか! 何者なの? マジ怖ええええ!!』
なんですよ。
私が求めたわけではなく…いや、求めていたからこそ、そして結構間髪入れずに動いていたからこそ、今の潮流が来たんでしょうが、それにしても流れが速過ぎるし大き過ぎて、すっげえ戸惑いがあるのです。
自分の予測の範囲をはるかに超えることがこんなに起きてくると、思考が追いつかないね。
気分的にはまな板の上の鯉です。
仮にこの流れに逆らうとしたら、容易なことでは無いでしょうね。ここまで大きく動くのを見せられると、もはや逆らう気はありませんけどね。
そう、今回のは「自分から動いて行った」というよりも、「向こうからやって来た」、そういう印象です。
いや、やっぱそもそもは自分が動いていたからに他ならないんだろうな。
それにしても…人生ってこんな大きな流れが来るものなのかと。
「自分の人生に起きるのは自分が想像できる範囲のこと」と、ずっと思っていたのでね。
「変わるの怖いから、このままでいようよ」
という、『何とかして現状維持させよう』という潜在意識の働きかけと思われる現象は、恩義ある人の関わりを使って来たりして、非常に巧みです。
やっぱり恩義のある人が相手だと、多少なりとも揺らぎますからね。
どっちに向いているベクトルなのかを見極める事も必要になっています。
どこで見極めるかというと、あるポイントを見誤らなければいいんですね。
自分の「芯」があり、それに向かうか逆行するかというところで判断するのです。私の場合。
それにしても、絶対これは、私のガイドだけじゃないと確信します。
『ここまで緻密に時を選んで、しかも各方面に抜かりなくヤレる存在』って一体何、と思うの。
確かにうちのガイドは調整力においてのヤリ手ですが、これはそんなレベルじゃないと思います。
しかもそれが、私にとっての不利では無いように取り計らっているらしい、と私にわかるようにやっている、というのがね。
「ああなればいいなー」
「こうなればいいなー」
と考えているだけでなく、行動を重ねてきましたよ、確かにね。重ねてきましたけどね。
でもねぇ。
あまりにも大きすぎるし急激すぎるし。
ゆっくり&チマチマでは遅いという事ですか、そうですか…。
でもとにかく、この潮流には乗っていくしか無いでしょう。
実は少し前に、久しぶりに上位のガイド(上位という言い方はちょっと違うのですが、まあ便宜的に)が珍しく積極的に来た事がありまして。
ぼかして書くと
「分岐点」
「進む」
「先にある希望」
「これでいい」
「エンドロール」
「その先の新しい何か」
「前に伸びる道」
最近はいちいち言語に変換するのがめんどくさくなっているのですが(お互いに)断片を単語にして取り出すとこんな感じ。何のこっちゃですね(笑)
これが当人同士だと言葉に変換しなくても通じるのです。
でもそれじゃ何なので、念押しのために言葉でもやり取りしてますけど。
まあ、あれだ。
自分が自力で出来る予想の遥か上を行くというのは、恐怖心も半端ないというのがよーーくわかりましたです。
離婚した時も先が読めなくて結構怖かったけど、あんなもんじゃ無い。
それがドン! ドン! ドン!
と、畳み掛ける感じで来るのですよ。
で、この恐怖心はどうやったら無くなるかというとね。
結局は動く事でしか無くならないんです。
『今という足元』をしっかりと見ながら、『ひとつひとつ、地味に地道』に階段を上る、歩くことでしか無くならないの。
これは経験から確信している。
恐怖は頭で色々考えていても無くならない。
(ましてわたしは生年月日の数霊的に観ると、不安感を大きく育てる癖を持ってましてね)
未来のことをあれこれシミュレーションしても、所詮はまだ起きていないことだから、余計怖くなるだけなの。
それよりも「今の足元を確実にクリアしていく」ことに専念する方が、はるかにスムーズにいく。
千里の道も一歩からですな。
あー、一応言っときますが、行き当たりばったりでいい、というのとは全然、まっっったく違いますからね。
そこのところは混同しないでね。
選択にあたっての道しるべはあります。
スッキリするかモヤモヤするかですね。
これまでそうやって無数の選択をしてきた先にいるのが、今の私なわけです。
これからもそれは変わらないのです。
読んでるかたには「わけわからんわ」ですかね。
わたし的にこの短期間で、かなりな衝撃が続いているので、書き残しておこうと思いました。
多分、そうそうある事じゃないと思うので。
…で、1年後にこれを読むのが楽しみです。
さて、1年後の私はこれを読んで何と言うでしょうか。
おーい、1年後の私。
1年前のあなたは、ホントに怖がっていたよ。
今あなたは、何してる? どうやってる? 何を感じてる?
多分もう怖がってないよね。
その気持ちと、この1年にあった事を、是非書いてねーー!!
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