最近「そうだったのか!」と思うことがやたら続いております。
何で気が付かなかったんだ? ということが多く、おのれの気が付かなぶりにビビります。どうしてってくらいにほんとーーに気が付かないで、ずっと来ている。それで、「なんでこういう事態になる?」とずっと不思議だった、という。
今年に入ってから、「どうして?」と思うことがありました。自分ではない人のことなのですが、それが妙に「自分の責任もあるのでは?」という気がしていました。
それが今朝、突然腑に落ちました。
「約束」って、侮れないな、と。
単なる口約束もだけど、法的な効力のある約束は特に。
ここからスピ的な話になりますが、
現界的に「法的な効力のある約束」って、つまりある種の契約ですよね。
それを履行するという義務が生じ、多分、履行させるという義務もある程度は生じるんじゃないかと思える。
それをしなかった場合、「やらないで済んだ、ラッキー!」とは断じてならないのです。
本来なら、その対象にエネルギーを注ぐこと(現界的には履行すること)が必要だった、というのは何も変わらないから。
例えばわかりやすく、AさんがBさんに借金したとします。それを、法的拘束力がある方法で「返済を履行します」と定めたとする。
ところがAさんが、踏み倒した。Bさんも、「仕方ないなあ、どうせ言っても無駄だし」で終わらせた。
さてこういう場合、エネルギー的にどうなんでしょうか。

本来、お金という手段を使って、AさんはBさんに、エネルギーを渡すという約束(=契約)がされたわけです。
それを踏み倒しても、「渡さねばならなかったエネルギー」というのは消えない。
渡さねばならないものがある以上、それに見合うエネルギーは、Aさんからいずれ必ず失われることになります。
お金というのは、私は最も取り戻しやすいエネルギーだと思っています。無くなっても、健康ならまた稼げますから。
一番楽なのは(大変でも)、体を使って履行することだね。
でも、命や健康はそうはいかない。一度無くなった命は戻らないし、一度大きなダメージを負っても、元に戻るのはかなり困難です。
だから、安易に約束はしないことだよ。
特に動くエネルギーが大きければ大きいほど、すっぽかした時の怖さはハンパない。
まあ、ちゃんと果たせば、なんの問題も起きないけどね。
多分、現実で法的効力のある契約は、それだけ厳しいのかも知れないなあ。
とは言え、世の中には大きな約束をしながら平気で無かったことにする輩もいますけどね。
なぜそういう輩には何も来ないのか、という疑問は残ります。
あー、口で言うだけで約束なんかしてないのかなー。
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