Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

誰かにかけた「情」は巡る。それは大切な人を助けるかも知れない

もくじはこちら

 

前にも書いたことがありますが、また書こうと思います。

私の行動の大もとには、多分これがあるんだなと思うのです。

 

 

 

 

情けは人の為ならず

 

どんな意味だと思いますか?

「情けをかけるのは人のためにならないから、かけない方が良い」

そう思っている人が多いかも知れません。

しかし、真の意味はそうではありません。

 

 

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情けとは

 

ては、情けとはなんでしょう。字のごとく「情」です。

思いやり、優しさ、親切、手助け…上がればいくらでもあります。人の愛から発するもの、全てを示すと私は思います。

 

誰かに対して示した情、行動した情。

それは、誰かに「渡した情」です。差し上げた、といってもいい。自分の情を、誰かに差し上げたのです。そして、その誰かとは人とは限らない。

それはその場限りで終わるものだと思いますか?

私はそうはないと思っています。情は、物ではないからです。

 

ありがとうと感謝される時もされない時も

 

誰かに「渡した情」。

それは必ずしも「ありがとう」と、感謝されるものではありません。それでも、そこには情が存在していたはずです。

 

例えば電車の中で高齢の方に席を譲ろうとして断られたとき。

感謝されなくても、「この人に、安楽ていてほしい」という思い(これが情です)があったからこそ「どうぞ」と、席を立ったわけです。

あるいはその方のことが、親や祖父母と重なったのかも知れない。

「どうぞ」と言わなかったとしても同じ。そこには情があり、そのかたにお渡しした。

 

 

そこには情が存在して、情はめぐる

渡された情は、そこで消えるわけではないと思います。めぐるのだと、私は思っています。

 

誰かに、何かに示した情。

その情は消える事なく、感謝という目に見える形で自分に返ることはなくても、めぐる。

それは巡り巡って、もしかしたら私が亡き後に、私の大事な人たちに還ってくるかも知れない。

 

私はこの頃、そう思うようになりました。

私が誰かにあげた情は、今度は誰かから私の大事に人に還る。

だから、「情けは人の為ならず」なのです。

自分のためにですらない。きっとそれは、大切な人達のために。

 

 

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自分の亡き後

 

人間ですから、誰もがいつまでも命があるわけじゃない。人の命がいつまでなのかは誰にもわからないのです。

助けてあげたい人たちがいても、自分の亡き後までは助けてあげることはできない。

みんなそうです。

 

もちろん、初めから人頼みで、やることもやらないのは論外です。

そうではなく、自分の力を越えることがあり、助けが必要になった時のことです。

 

大事な人に助けが必要な時があったら、そこには居ない自分ではなく、誰かに助けてもらうほかはない。自分の代わりに。

 

 

自分が渡した情が巡って、今度は誰かが、大切なひとに渡してくれる

 

考え方ひとつといえばそれまでです。

でも、昔から「情けは人の為ならず」という言葉があるということは、そういう事は確かにあるのだ、という事じゃないのかなと思うのです。

 

私は勝手にそう信じています。

情けは人の為ならず。

それは巡り巡って、大事な人達のために。

 

あなたの大切な人は誰ですか?

 

あなたは、自分亡き後、自分の代わりに誰に手を貸してあげてほしい、優しくしてあげて欲しい、親切にしてあげて欲しいと思いますか?

 

お子さんですか?

親御さんですか?

友達ですか?

恋人ですか?

職場の人ですか?

それとも、いつも見かける、名前も知らないけど優しそうなおばあさんですか?

 

あなたが誰かに今かける情は、その目の前の誰かだけではなく、未来を生きる大切な人にかけているのかも知れません。

 

 

◆エネルギーデトックスワーク協会

 

 

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