因果応報、というと、なんとなく怖いイメージがありますかね? あまりいい意味で聞かない、使わない言葉なんじゃないかなーと思います。
私もかつては、思いっきりネガティブな意味でばかり使ってました。
『不倫相手の女には因果応報が働くに決まってるんだ! そうでないと納得出来ない!!』
ってねー。ハハハハハ。
まあそれはもう、私の預かり知らぬことで、今はどうでもよくなってしまいましたが。
えー、話を戻すと。
これって、「情けは人の為ならず」にも通じるものがあると思うんです。
「情けは人の…」って、「人にかけた情けは自分に還る」という事ですよね。
…と、私は解釈してるんですが。
更に進めて、私亡き後は私の大事な人たちが、私の代わりにそれを受け取る、とも思っています。そういう価値観です。
そして、情けって言うとどこか特殊な印象になってしまいますが、シンプルに言うと「人に対しての自分の行動」です。
「情けは人の為ならず」
とは、
「人に対しての行動は、自分に還る」
という事だ。
…というのが、その意味する事だと思います。
ほら、そうすると、因果応報と意味が同じだと思いませんか?
因果応報も、「自分のやったことはそのまま自分に還る」ですから。
どちらにしても『タネを蒔いたら自分で刈り取らないといけないよ』ということですね。
良いタネを蒔けば良い実が成る、悪いタネを蒔けば悪い実が成る、と。
だから、良い実を刈り取りたかったら、良いタネを蒔けばいいという、本当にシンプルな話になります。
ということは、自分がしてほしいことを誰かにしてあげればいい、ということですね。これは聖書にある言葉、そのまんまなんですが。
そういう価値観が持てるかどうか、というところで、それを実践するかしないかは分かれるでしょうが、試しにやってみるというのも1つの行動じゃないですかね。
昔の人の言葉って、真実が隠されているなあと思うことは結構ありますから。
そうでなければ長い時間の経過と共に淘汰されていって、残っていないと思うんですよね。
残っているという事は、何かしら意味があるのだと思います。
エネルギー的なことを言うと、放ったもの(エネルギー)って、地球をぐるっと回って戻ってくるイメージですねー。
(実際はそういうわけじゃないんだけど、イメージとして、そう考えるとわかりやすい)
奇しくも今日(これを書いてる日)、昔のドラマ「JINー仁ー」というのを5年ぶりくらいに見まして(録画してあった)、『めぐりの理』みたいなものを感じた次第です。
放送当時よりも今のほうが腑に落ちる感じ。
(そして放送当時も泣いたけど今見ても泣く。でも原作未読)
↓フリーメールとハンドルネームで大丈夫です