相性というのは、何も異性ばかりのものではありません。友人、職場の人、職場そのもの、色々なものに存在します。
それは親子の間にも存在します。
実は、親子の間で互いに相手の本命数というものを傷つけ合っているというのは、それ程珍しいことではなく、わりと見ます。
最近ではある宮様母娘も互いに本命数破壊をし合っていましたね。
ただし、その他にも数字の並びを出した時に大事な数字がありますし、その人が持つ数字そのものの「状態」も重要なのです。それによっては、生まれ持った性質としての一筋縄ではいかなかったり、非常に強情だったり、難しい傾向を持っていたり、というものも、当然のこと深く関係してきます。
本命数(数字の並びを出した時に、その人にとって大事な位置付けの数)という観点で言ったら、互いにでなくとも、一方のみが破壊を受ける、というのも多いです。
家族の間でこういうものがあって、実際に何かしら問題が生じているときは、例えば進学を機に一人暮らしするとか、寮に入るなどして物理的に距離をとるとか、それが難しいときは、心的距離をとる、というのが必要になって来ることもあります。
(特に何も問題が起きていないのであれば気にする必要はありませんが、下に挙げる『離別感』は、別にこれといって何もない人でも持っているといいとは思います)
心的距離と言っても、無視するとか無関心になるとか放置するとか、そんなバカな事ではないですよ。
簡単にいうと、親子と言えども別の人間である、別の価値観を持っている、思い通りにしても良い存在ではない、ということを踏まえた上で接する…ということですね。
これが『離別感』というものです。
特に親子というのは、親から見ると「子供は自分の一部」子供から見ると「親はこうあるべき」と無意識に捉えがちで、どうしても親は子を自分の価値観に沿った人間に育てようとしがちですし、子は親を「親なんだからこうあって当然」と見がちです。
(私も全くその通りでした)
また、別の観点からいうと、家族それぞれが皆、家族内の誰かしらの本命数を傷つけているような時もあり(つまり、家族の誰かが必ず他の誰かの本命数を傷つけているような)、そういうときは、「家族としての共通の学びが何かしらあるのだろうな」と思うこともあります。
「この世は学びの場である」とか、「修行の場である」と言った人も宗教関連で誰かいたような気がしますが、そういう事なのかなと思いますね。
『妙なる世界』ですね。
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