今週のお題「海」
父の故郷が、鹿児島から船や飛行機で行く島でした。
初めて行ったのは2歳の頃らしいですが、勿論覚えていません。
埼玉生まれ埼玉育ちの母は、本当に言葉がわからなくて困ったと当時のことを教えてくれたものです。
私の記憶にあるなかで初めて父の故郷に行ったのは、小学校3年生、9歳のとき。
夏休みを利用して、1人で飛行機に乗り、途中、大阪の伯父家族と合流し、種子島へ行きました。
確か、「全日空」だったかな。『空のひとり旅』というバッジのようなものをつけられて、右隣にはキャビンアテンダントのお姉さんが座ってくれた事を覚えています。
左隣にはよそのおじさんが座っていて、やはりあれこれと気遣ってくれたこともよく覚えています。
空港には大阪の伯父が迎えに来てくれていて、伯父宅に1泊。ホームシックで寝たフリしながら涙を流していて、伯母が涙を拭いてくれたっけ。私より1つ上の従姉妹がいました。
大阪から鹿児島へ、さらに鹿児島から種子島まで小さい飛行機で行って、まず何に驚いたかと言ったら、その海の想像もし得なかった美しさ。
関東で見る海とは全く違った色。
淡く深く、濃く薄く、いくつもの青が重なりあいながら沖まで続いているさま。あのいくつもの青は、あれから40年以上たった今でも記憶に鮮明に残っています。
もう40年以上。
今でもあの美しさはあの海に残っているのだろうか。
見てみたいと思う事もありますが、あの時の海の美しさは私だけの中にあるものであり、この海がここにあればそれでいいとも思います。
あの時共に歩いた祖母は亡く、伯父も伯母も既に亡く。
種子島で私達を長期間泊めてくれた家の人々は今どうしているのかはわかりません。
裏山でのラジオ体操、海辺での花火大会、その帰りに北斗七星を教えてくれた中学生のお姉さん。
五右衛門風呂。
法事で初めて長時間正座をした事。
歩くのが遅い祖母を何度も何度も迎えに行って一緒に歩いたこと。
潮の匂い。小川に光る魚のうろこ。広い池にいたコイ。
そんな記憶がいくつもいくつも思い出されて、涙が出て来ます。
人生の途中で、縁あってほんのいっとき共に過ごした人たち。私の子供時代のほんのいっときを共にしてくれた人たち。
ありがとう。
そして今も、人生のいっときを共にしてくれる人たち。家族も友人も、それ以外の人たちも。
もうそばにはいないけれど、共にしてくれた人たち。
ありがとう。
ありがとう。
本当にありがとう。