先日の台風の猛威は想像以上で、月曜朝は、この辺はJRも私鉄も軒並み運休。
次男が某JR利用なのですが、入場制限がかかり駅の外にまで長い行列ができている画像を見ました。
あれはひどい。
あの日はかなり蒸し暑く、晴れ間が出てからはフェーン現象で猛暑になった日です。
じっと耐えて並んでいたかたには、相当こたえたはず。しかも何時間もです。
前にもこういうことはあったけど、なかなか教訓って活かせないものなんですかねえ。
相手が台風だからと言っても、今回の規模、通り過ぎた後の被害の大きさは、予測出来たと思うのですが。
現場は暑い中の復旧作業、本当に大変だったと思います。(実際うちの近くでも復旧作業をいくつか見ました)また、関係各所のかたは大変努力をされたのだと思います。
でもやっぱりあの暑さの中であの長蛇の列は無いわ、と思います。
わたくしごとですが、電車が止まったあの日に仕事の面接があって、半ば破れかぶれ&開き直りになりました。(ヤケクソともいう)
ギリギリ動いてくれて間に合いましたけど、
初めて行くところだったので道がわかるか(←方向音痴)間に合うかというので、ただでさえ暑い日に焦って汗だくになりました。
つーか、私も予測が甘いこと、人の事言えないじゃん。
前置き長くなりました。
ただいま無職なので、やらねばならないことをやりつつ、家の中のものを捨てつつ、気を抜くと落ちていく自分の中のものに対抗しながら、日々過ごしております。
三歩進んで二歩下がる、なのでね。
いや、ちゃんと二歩進めているのかも自信ないけど。
ええ、しんどいっす。
今回はひとつ終わってまたひとつじゃないから。こんないっぺんに来るとね、いっくら私でも挫けそうになるのさ。
しんどいけれどもさ。
でもこれ、越えなきゃいけないからこそ来ているんだから、越えなきゃならないんだよね。
自分が。
何もしないでいると地球の裏側まで穴が掘れそうな勢いがつくことがあるので、何かやっていないと、と思うんですよ。
で、何をしているかと言うと。
何か書いたりね。買い物に出たりね。
掃除機かけたり、雑巾掛けしたり。
要するに「どこかしら体を動かす」んです。
とにかくじっと座っていることをしない。
日がなスマホを見ているなんて論外。断言します。それやると悪い方へ転がります。
そして片付け。やっぱり片付けなんですよ。
ウチは、1つの家にはこんなにもモノが隠れていたのか、とため息が出るような量が出ています。
我が家は結構収納が多いので、その分溜め込んだものも多いんですね。
この「溜め込んだもの」って、なにも「物質」だけから見た話じゃありません。
私はそれは、「潜在意識が必要以上に溜め込んだもの」が形となって現象として現れている、と思ってますので。(だから現界的にはぱっと見、見えないところにあるのね)
思わぬところから20年以上も前のものが出てきたりして、「そこにしまってあったこと自体を完全に忘れていた」ものが結構見つかったりして(つい最近も同じこと言ってたけど、まだまだありました)かなり驚きます。
これは要るのか、要らないのか、という選択を余儀なくされるのは勿論、物質を捨てることで執着を切るというのもやってるなと思います。ここで誤解しないで欲しいのは、執着を捨てることは思い出を捨てることではないって事ね。
モノってそれ自体にエネルギーがあります。モノが溢れていると飽和状態になって、いろんな面で滞るんですね。
不要なモノが溢れていると、何が本当に必要なのかも見えなくなりますし。目も曇りますし。思考も乱れます。
特にアンテナが敏感な人には要注意で、モノが(その人の許容範囲を超えて)あるというのは過剰な情報が常に入るという事でもありますからね。混乱します。
だから片付けるって大事なんですよ。
思考的にも大事だと思います。片付けることそのものが浄化でもありますからね。
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