処分しちゃいけない!!!
と数十年間思っていたけど処分したものに
婚礼タンス、ドレッサー、着物があります。どれも両親からの結婚時の贈り物です。
処分しちゃいけないと強く思っていたものその2。写真です。本っっっっ当に、大量にあります。
自分のもそうだけど、息子達の写真も合わせると、大きな段ボール1つでは足りず。
これも先送りで取り敢えずそのまま引っ越し先に持ってきて、かなり場所をとっていたものです。
婚礼タンスを処分した時と同様、写真を捨てるということは、わたしには思い出やその人の心も捨てるということに等しく、それはその写真に写っている人を裏切る行為に等しく。
でも、当たり前のことですが、写真を処分する=その人に対しての裏切り でも何でもないんですよね。
だって、写真の有無に限らず、大事な思い出は、自分の中にちゃんとありますから。
なんならその時の匂いも体温も、声も、その時の気温も、景色も、全部記憶されてますから。
なんでこうも『手放すこと=それに対しての裏切り行為』と思ってしまうんですかねー。
とにかく、この大量の写真はどうにかしないといけないので(わたしに何かあった時に息子が処分にウンザリするといけないし)3分の1を目標に選別しました。
結果、古い大きなアルバム3冊と、簡易なアルバムは10冊以上処分。写真は何枚処分したのか、数えなかったのでわかりませんが200枚は軽いな。
…とても軽くなりますね。
単に荷物(持ち物)が軽くなる、というだけではなく、訳もなく執着していただけのことはあり、エネルギーが相当動きます。
処分してみてなるほどなーと思ったのは、写真って過去(の自分)なんだろうなーと。
それを通して、私の場合は過去に繋がっていたんだなと思います。
目で見る事ができるだけ、それがより強固なんだろうな。
あくまでも私は、です。
ここ数日、わたし的に忙しくなくて、さらに昨日は一日中家に居ないといけない用事がありまして、落ち着いているということに落ち着かなくて困ったのですが、思いがけずこういう執着を断つことをやっていました。
うーん、でも写真云々の前に、「忙しくないといけない」という事こそが、私には執着なのかなー。
忙しくないと自分の価値がない、みたいな感覚が多分あります。価値を認めてもらうためには忙しくないといけない。そういう事なんでしょうね。
未だにそれか!! という感じがしますが、やれるところから手をつけるしかないですからね。
エネルギーデトックスワークと同じで、浅いところのものを抜かずに深いところに手をつけようとしても、かえってうまくいかないんです。
でも手をつけるかつけないかというのは、大きな差をうみますから。
さて、今日はエネルギーデトックスワークのセッションです。
その方にとっての不要なエネルギー、その方にとって本当は不要なんだけど、その方自身では抜けないエネルギーを抜いてきます。
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