来年新しい年号になりますが、
平成という時代はどんなエネルギーを持つ時代だったのかと思いまして、みてみました。
まずは、「平成という字」が持つエネルギーは11。マスター数でした。
11でも成り立ちによって性質には多少の違いがありまして、この11は言ってみれば「和」や人の心、思いやりを大事にし、かつ利他愛を目指すような11ですね。
更には受け入れるという感じ…赦しのように思います。
(もともとマスター数は、利他愛に生きることを求められる数なのですが)
ただ、名前から受けるエネルギーは、生年月日から受けるエネルギーに比べると(後天的なものなので)影響は幾分弱くはなります。
余談ですが、日本語を「音」に直すときって、「どう変換するか?」という問題が出てくる事が結構多くて、私は名前を数字に直してみるのは参考程度にしています。
「絶対これ以外にない」という読み方の場合はそちらもきっちりと見ますけど。
今回は「へいせい」でみてます。
でも、「音」にすると「へーせー」にもなりますからね。
「へーせー」となると結果が違ってくるんですよ。
平成の頭文字数は8でした。
平成が始まった日
1989年1月8日(日曜日)
8-9-9
ちなみに生まれ年というか、1989年も9の年。
すごいですねー。
何が凄いって、1と、あとは8と9しかないという。
頭文字も8でしたし。
名前はマスター数だし。
霊的上昇を課せられた時代だったのでしょうかね。
そういえば、当時私は(スピリチュアル自体に)興味がなかったのですが、
アセンションという言葉が流行った(?)頃がありました。
興味が無いのに耳に入ったのですから、相当な勢いだったんだろうと思います。
で、平成の数字。
興味深いのは、自分に甘い数が無いこと。
ちなみに1は自我の強い数ではありますが、
1の自我は目標に向かって突き進むためには無くてはならない性質になります。
人の目を気にしていては目的に向かって進む事も、スタートを切る事も出来ませんからね。
また、1のそうした行動が時代に風穴を開ける事にもなるので。
1は「楽しむ」というのとはちょっと性質が違ってきます。
もっと勝負っぽい、アスリートみたいな感じです。
まあ、1の働きもありますが、平成は8と9のエネルギーがかなり強い時代だったんですね。
特に9ですね。
9は完成の数である「10」のひとつ手前の数なので、人としても(マスター数を除き)、完成度の高い人を目指す数です。
私は9というと「賢者」をイメージするんですが。
自分よりも人の幸せを考える事が出来、場合によっては、満たされない人がいると先に自分が満たされることに対して罪悪感を持ってしまったりします。
博愛精神とか人類愛があるんですね。
そして8も相当エネルギッシュですが9もやはり8の上を行くエネルギッシュさがあります。
しかも頑張るのがルーティンで当たり前なので頑張ってる感が本人には無い場合が多い。
ちょっと話がズレましたが、
平成という時代は、物質面で豊かさを謳歌する時代ではなく、精神面で豊かになる事が目的になった時代だったのかなと思います。
そして自分に甘く生きるのではなく、人としてどうあるべきなのかを考える、そしてそのように生きる事が必要な時代だったのかなと。
ただし、天から見てどうかという厳しさ(自分さえ良ければという姿勢は合わなかったでしょう)も、同時にあったのだろうとは思います。
そんなわけで、霊的な成長を促されたであろう平成。
次はどんな年号になるんでしょうかね。