丁度、2018年8月16日、去年の今日の写真を見つけました。
当時のブログには「やっと朝晩が涼しくなった」と書いています。(ここではないブログですが)
去年はものすごい暑さで、しかも6月から梅雨明けだったから、お盆を過ぎてやっと少しはホッとできるようになったなーと思ったんでしょうねー。
思えば、去年の今日は、1年後の自分が今の状況になっているとは夢にも思いませんでした。
人には予想出来る範囲のこと、それまでの経験に応じて『ありだな』『あるかもな』、と思えるところがあります。
お皿の上に乗っているオレンジはお皿の上を自由に転がることは出来るけど、お皿の上のことしか知らない、わからない、みたいな。
でもそのお皿の外にはお皿が置かれたテーブルがあるのかも知れないし、お皿の下に更にお盆があるのかも知れないし、もしかしたらお盆ではなくて、そのお皿は誰かが持っているかも知れないんですよねー。
予想が出来る範囲というのは、オレンジにとってのお皿の上、なんです。お皿の上がオレンジの世界。
それが、お皿の上から出てテーブルの上に移ったり、誰かの手によってお盆の上に移ったりした時に、全然違うところに来るんだなーと。
なんかわかりにくい喩えですみません。
予想出来る事、出来ないことっていうのは、そういう事なのかなあと。
お皿の上にいるオレンジは、お皿の上でないところの事なんて知りませんもんね。
お皿の外という世界がある事も知らない、そして知らないというのは無いのと同じ事なんです。
そして、だからと言って別に困ることはない。
でも、オレンジは自力ではお皿の外には出られません。お皿の外にオレンジを移す『誰か』の手が必要なわけで、それが見えないところの作用なのかと思います。
これは、現在の【可能性が閉じられつつある世界】のことでもありますが。
狭いお皿の上よりも広いテーブルの方が、オレンジにとっては転がれる範囲が広がりますね。
誰かがお皿の外に移そうとした時は、素直に移してもらう方がよいのだとも思います。
なぜならその手の持ち主は、オレンジよりもずっと高いところから、お皿やお盆やテーブルよりも高いところからオレンジを見ているから。
お皿の上にいる事だって勿論ありなんです。お皿の上でだって自由に転がることができますから。
お皿の上しか知らないオレンジには、そこが狭いのかも広いのかも、そもそもわからないんです。
でも、あまり転がりすぎるとお皿の外に落っこちて、そこが高いところだったりしたら、グシャッと潰れてしまうかも知れない。
それが怖いから、狭くてもお皿の上から落ちないように、転がり過ぎないようにする。
それが潜在意識のホメオスタシスなんでしょうね。
だとすると外に出そうとする手が、ハイヤーやガイド?
そしてそこに必要なのは自分の意思。(顕在的な意思より大きくモノを言うのが潜在的な意思)
さっき、「他のものの手」と書きましたが、オレンジの意思もないのによそに移すことは、他のものにも出来ません。
…いやー、今日の書き始めには、別にこんな事を書こうと思って書き始めたんじゃないんだけど(笑)
なんかこういう方向へ進んでしまいました。
まるで自動書記でしたよー(笑)
(念のため、「あなたの知らない世界」というのは、昔あったお昼の番組名です)
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