Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

2023年7月の私〜使えるものはなんでも使ったらいい〜

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◆プロフィール◆ - Harmonize 

~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~

 

今月も覚え書きみたいなことです。

 

 

先日の記事の最後に書いたのですが、

 

それ以外のことは

「やらなきゃいけない」

となってしまうと、単なる「ネバベキ」を増やすだけになりかねないので、

『自分を楽にするために使えるものは何でも使うよ』

という感じでやってみるといいのではないかと思います。

 

まー、今回挙げているのは、侮れないくらいに使える手段なんですけどね。

 

 

例えば私の場合は

『こうなりたい』

として、

『健康である私』というのがあります。

 

 

健康な人には想像もつかないでしょうけど、私の場合、長年にわたって(2、3年とか、そんなレベルではありません。自分が健康だったとなんの疑いもなく思い出せるのは、結婚前の自分までです)(注・現在おひとり様)

【自分=病人】

でした。

それがいいとか悪いとかではなく、アイデンティティとして病人である、というものでした。

 

何かを考えるのも、病人としての自分が考えている。

もはや無意識レベルでした。

それは自分が女性であるとか自分は長女であるとかいうのと同レベルでのものて、何も疑うことはありませんでした。

 

1番初めの病気を発症した時はまだ、病気の自分の方に違和感があったのて、或いは元の自分に戻るということも可能だったのかも知れません。

ですが、その症状があまりにも強烈であまりにも心身へのダメージが大きなものだったことと、医学的に結構深刻なものであるという知識もあったことや、のちにそれが遺伝子レベルのものであったのがわかり、

自分=病人で、病気は決して治ることはない

というアイデンティティが確立したのだろうと思います。

 

年を経るに従って後遺症からくる症状がひどくなり、そこから付随する症状が出始め、同じ傾向の別の病気を発症したり、また、別の抗体が出たりと、どうして? と思いながらも

「だって私はそういう体なんだから仕方がない」

「どこまでこの体をもたせることが出来るかが大事」

という姿勢で生きるのが当然な私

になりました。

 

そういう自分として生きていたのだ、と気がついたのは、まだ比較的最近のことです。

 

これは「そう気が付いたからそういうアイデンティティであったとわかった」だけで、気付こうと思って気付いたのではないのです。

 

 

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でもそこに気がついたら、

「なるほど、そういう自分が当たり前なのだから、そういう自分になり続けて来たわけだ、約30年もの長い間」

と腑に落ちました。

 

「楽しんで生きる」

のではなく、

「命や体をいかにしてもたせるかを常に気にしながら生きる」。

 

同じ生きることではありますが、それは、全く方向が違います。

 

 

こういったことに気がついて、

『では、自分はどうなりたいのか?』

と自分に聞いてみたら、

「どうせ自分には叶わないんだから、願っても意味がない」

と思って来たことがひっそりと存在していました。

 

まだ微かに記憶にある、1番初めの病気を発症する前の、なんの後遺症もなんの身体的不安もなかった頃の、

【健康だった頃のような自分】

です。

 

健康であるという意識すらなく、その体が当たり前と思い、生きていた自分。

軽くて爽快で安心に満ちた、自信に満ちた自分。

 

もしもあの頃のような身体(の感覚)になれたら、どんなに素敵だろう。

どんなに素晴らしいだろう。

どんなに毎日が安心に満ちるのだろう。もし本当にそうなれたら…。

 

あの当時の感覚を思い出し、またあれが味わえたらと思うと、それだけで、嬉しくてはち切れそうになりました。

 

もうそれは、考え方の180度の転換でした。(実は近ごろ、こういう180度の転換が続いています)

 

『病気の自分をなんとかする、病気の自分の体の機能をなるべく長くもたせる』ため

ではなく、

『こうなりたいという自分に近づく』ために、

今やこれから、何が出来るだろうかと捉え方が変わりました。

 

 

体のために最も必要なエネルギーを入れてあげることも、

EDW(エネルギーデトックスワーク)も、

(現状としてやらないわけにはいかない)夜勤に対して色々な対策をするのも、

エネルギー抜きやエネルギー入れなどスピ的な事をやるのも、

栄養について徹底的に学び直したのも、

『この体を長くもたせるために』

とやって来たことは、

実は

『健康な、爽快な自分になりたくて』

やって来たのだともわかりました。

 

やっていることは同じことでも、

『病気の自分をなんとかするため』なのか、

『爽快な自分に近づくため』なのか、

要するにどこにフォーカスし続けているのかが違います。

前者は『病気の自分にフォーカス』し、後者は『爽快な自分にフォーカス』しています。

 

 

気付いたきっかけは本当に偶然で、誰かの、何かの言葉。映画の中のセリフだったのか、本の中のフレーズだったのか。

それは、始めてた耳にするような内容ではなく、多分これまでにも耳にしていたことでした。

 

だけどこれまでは、それは線にならなかったんですね。突如点が線として繋がった感じです。

(私としては、これも日々の不要なエネルギー抜きを積み重ねたおかげだとは思うのですが)(曇ったメガネよりクリアなメガネということ→自分を整える1つの手段として利用してみるといいよ - Harmonize

 

『自分はどんな自分なのか』というものが変わって来たので、捉え方や行動の仕方も自ずとまた変わってくるのだろうと思っています。

 

追記)

アイデンティティが「病人」であることが、「ダメ」「悪い事」なのではないです。

それは、単に今の自分がそういう状態である、という事で、それ以上でもそれ以下でもないです。

今の状態を悪いと評価すると、そこにまた「そこから脱出するため」の「ネバベキ」が出来るだけなので。

 

 

 

 

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