新海監督の3年ぶりの作品、『天気の子』を観てきました。空母いぶき以来、映画自体が久しぶりで、イヤーーーもう、映画観たかったよーー!!!
上から「観てみてー!」とお勧めだったので、どれほど感動ものなのかと期待して行きましたよ。
感動もの、人情ものが好きです。あからさまにお涙頂戴モノでも、涙を出したい時は全然オッケー。むしろカモン! てなもんです。
ネタバレあり。注意。
この作品。
色々炙られるわー。
個人の価値観がどういうところにあるかがよく分かるね!
人のために犠牲になるのが美しい、そしてそれが人間の本質、というものを持っている人には、多分、相当モヤモヤ来るでしょう。
「大人らしくあれ」
「ルールを守れる人であれ」
「弱者を労われる人であれ」
「自分本位を慎める人であれ」
という価値観もかなり炙られます。
私もそれほどでもないにしろ、妙にモヤモヤしたままエンディングとなってしまいましてね。
はっきり言うと、この
「上が何でこれを勧めてきたのか」
を考えてみる=どこにモヤモヤしたのかを探ってみる、切り分けていくと、ここ最近の課題でもあることがヒット。
上からしたら、感動が目的じゃなく、モヤモヤするので私におススメということ(笑)
「自分は一番最後、まずは人が優先。自分より他人のほうがどこまでも尊い。自分が先に救われてはいけない。関わるからには『良く』しないといけない」
だから、「人柱」になる巫女の運命には全然抵抗なくても、作中でそれを拒否したせいで東京が水没するのには微妙にモヤッと来たんですね。
でもねぇ、自己犠牲の精神で生きるのは、もう流れにそぐわないんですよ。
勿論『自己犠牲をとことんやりたい!』っていう目的で降りてきている人もいますからね、そういう人はそれでいいんです。
だってそれがやりたくてここに来ているんだから。それは他人には止められないです。
そうでなければ、自分を犠牲にするというのはその裏にはそうすることによって肯定されたいというものが大きくて、依存にも通じてしまいますからね。
これは顕在的でなく無意識レベルなので、なかなか手強いですし。
でもこういう、例えば映画とか小説とか、他人の生き方とか、自分の中の潜在的なものに気が付けるキッカケって結構あるのです。
妙に気にかかる映画とか小説とかって、実は『上』からのサインでした、ってこともありますよー。
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