~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
例えば、同じように何かに曝露されても、
ある人は症状も何も出ない。
ある人は軽く症状が出るが自力で治る。
ある人は少しの治療で治る。
ある人は相当な治療の末に治る…
と、『同じものに曝露された』といういわば『同じ種』なのに『違った実』が成る、つまり違う結果となることは多いですよね。
実際私ももう何年もの間、勤め先の外来で季節性のインフルエンザとかノロとかロタが大流行している中でも罹っていないのです。目の前で吐かれて後片付けをしたことも多々ありますけど。
(もちろん職業柄感染対策というのもしていますが、同じように対策していても罹る人は罹ります)
想像ですが、日々仕事で色々なモノに曝露されて来た事(長年なので相当されているはず)が、プラスに働いたのでしょう。
それと私は、生まれ育つ過程(幼少時)が雑菌に囲まれた、『現在とは比べ物にならない環境』でした。そして、滅多に医者にかかれなかった時代でもありました。
色々な菌などに暴露される事で、生きるために体がそれへの対応を重ねていったわけです。
そこでも、個体によっての差(人によって発症するかしないか)は当然あったはずです。
個人的には、昨日今日慌てて始めたことでは無い、積み重なって来たものが、それぞれの個体での大きなベースになっていると思います。
体に何を入れて来たのか、逆に何を出して来たのか。
人は『食べているモノ』で出来ている、と言いますが、おそらくはそれ以外(=食べ物以外)のことにも言えますよね。
体が望まない生活習慣もあるだろうし、想いの持ちようもあります(想いの持ち方で内分泌系に違いが出てきますよね)。日々使っているものだってあるでしょうし。
…何を言いたいのかというと。
今は考え方がいくつにも分断していますが、自分がどういった立ち位置をとるにしても、大事なのは
『同じ種を植え(られ)ても、どんな実を成らせることが可能な自分であるのか』
だと思うのですよ。
今まで常識と考えられて来たことが、実はそうでは無いこと、むしろ真逆だったという事もありえます。
誰かが言うから盲信するのではなく、
自分の感覚で、体で、直感で、捉えることが必要なのでしょう。
『ある時』にはよかったことが、『別の時』にはそうでなくなっている事もあります。
誰かにとってはいい事でも、自分にとってはそうで無いこともあります。
何が自分にとってのプラスになるのか、何がマイナスになるのか。今はそれを見極める目がかつて無く大事にな時代ではないかと思うんですね。
見極めるための感覚を少しでも敏感にするために、エネルギー的な対処はとても有効だと思うのですよ。
曇ったメガネでは目の前の道が見えにくくなりますからね。自分の足元すら見えなくなりますからね。
(↓下の記事を読んでみて下さい。これを書いた当初は、ここまでの世の中が来るとは予想もしていませんでしたけど)
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