これも公開時に観ようと思いながら見逃した作品でした。
金曜ロードショーで放送すると知って、録画して観ました。
ワクワク! して観始めましたが。
途中で不快になってリタイア。
うーーん、何でだろう。
多分、下の子が生まれて葛藤の只中にある四歳の男の子に対しての、両親のフォローが(少なくとも私の目には)全く見られなかったことに失望したんだろうなと思います。
「なんでそこで抱きしめてやらない?」
「2人いるなら(4人いる場面でもあった)1人は上の子を抱いてやってくれよ!」
「お母さん、なんでそんなにお父さんに対して上から目線なんだ?」
「お父さん、なんでそんなに頼りないんだ?」
これねー、つまりは私自身が持っているものに由来するということです。
何もなければ、色々目につくところはあっても、平気で観ていられるんですよねー。
(自分が遭ったと同じような目に遭っている)子供を助けてやろうとしない大人への怒り。
誰も自分を見てくれないと感じている(であろう)子の心。
もう自分のことはどうでもいいのかという悲しみ。
かつて自分が感じたのであろう場面を、外側から見せられ続けることに怒りと悲しみ、諦めといったものを掻き立てられたからに他ならないんですねー。
そして、それとは別に、自分自身にもそういうところがあるという(つまり、あの両親、大人側の立場)(普段は自覚していない)面を見せられたから。
あの作品は、そういう意味で、深いところを結構炙られる作品だと思います。
映画のレビューを見ても、私みたいに感じた私くらいの年代であろう人が驚くほど沢山いて、
同じようなものを抱えている人が沢山いるんだなと驚きました。
映画とか小説とかって、『面白い』とか『つまらない』という感想のほかに、なぜそう思ったのか? という深いところを探ってみると、意外な発見があるかもしれませんねー。
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