~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
頼りにしてきた大きな柱が消えたとき。
いずれそういう時が来るのだとどれほど覚悟していたとしても、
自分が思っていたよりもはるかにその柱を拠り所にしてきたことを、本当の意味で悟るものなのかも知れない。
途方もない喪失感を前に、記憶を無くしてしまえたらさぞや楽になるだろう、と思えるほどに。
だけど記憶は即ち人自身であり、記憶の積み重ねが人そのものだから、記憶があることで苦しくても、本気で無くなって欲しいわけではもちろん無い。
辛い記憶がいずれは過去のひとつになることを、ここまで生きてきた私は知っている。
意志の力ではどうにも出来ない、ゆえに気分転換など本当には出来ない。
何度も何度も痛みを繰り返しながら、
時間薬でしか癒やす事が出来ないものがあることも知っている。
喪失感に負けるまいとも、さあ立ちあがれとも、前を向くんだとも思わない。
それに相応しい時が来れば、いつか自然とそうなっていくであろうものだから。
何よりもそれは、
柱がそれだけ大きな大きな拠り所であったということ、
それにずっと助けられてきたことのあかしだから。
そして、本当に苦しんだのは、なすすべなく見ているしか出来なかったわたしでは断じてないから。
年齢に関係なく、この先、いろんな意味で、出会いよりも別れる方が多くなってゆくのかも知れない。
そばに居なくとも生きているだけでいいと思う、かけがえの無い人との別れが、この先いくつもあるのかも知れない。
生まれる時も死ぬ時も、人はひとり。
誰ひとり例外はない。
そうであるから尚のこと、
その人々がどうか苦痛少なく、
叶うならば 穏やかで、
やすらかであってほしいと願う。
人の人生は決して他人が負えるものではなく、その人のものだけれど、
それでも、
共に生きた時間は、ただ ただ いとおしいものである事に間違いは無い。
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