~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~
「引っ越し大名」、一応録画しておいたものを観ました。
「これ、見たことある気がする」
…と思いながら過去ログを見てみたら、やっぱり見ていました。
この時、2019年の9月。
ちょうど、一生に一度というくらいの怒涛が始まった頃です。
夏から突如始まった事態は、
⚫︎このままなんとなくやり過ごして、延々と続くであろう強烈なストレスの中に身を置くことを甘受するか? ただし、怒涛の流れは確実に止まる。ぶっちゃけ、そのほうがいろんな方面で楽。そして多分それは、自分や子々孫々への問題の先送りになる事が不思議とわかってしまう。
⚫︎始まった怒涛の流れに覚悟して乗り、文字通りいろいろな面をゼロにして(実際当時はゼロどころかマイナスになって、本当に辛かった)、全く思ってもいなかった未来へ進むのか? 相当キツくなるだろうが、自分や子々孫々への問題の先送りは無くす事ができる。
ただし、この問題の先送りというのは、未来永劫に対するものではなく、
『私の人生において、私の責任が及ぶ範囲において』『ある意味、自分の責任において生じさせた、とも言える事に対して』
の問題です。
わかりにくいですね。
自分のところで断たないと、子や、場合によっては孫にまで責任が及んでしまうというのが(何故か)わかってしまった事です。
ううん、やっぱりわかりにくい(笑)
自分の責任において断てる事だったから、本当にきつかったですが乗り越える事ができました。
でももしも、これが自分の責任において断てる事で無かったら、そもそもそんな怒涛は来なかっただろうなとは思います。
…ただ、気をつけないといけないのは、今の世は
『起こることはすべて必要なこと』
とは限らなくなっている、ということがありますね。
必要かそうでないかは、『自分の責任において』か否かが鍵になると思う。
目の前に来たからすべて必要で、すべて手を出さなければならないか、ということとは別ものなのです。
良かれと思う事が誰かの学びを奪うこともありますし。
私の場合は、当時、
『もうこれ(怒涛の流れ)に乗るしかないのだ』
という事がはっきりとわかりました。
選択権は与えられてはいたけれど、感覚的にはもう怒涛の流れの方に行くしかないくらいの強い流れでした。
そして、多分あれが、私の『上』が(深く)介入(介入と言えるかどうかは疑問なんですが、人知を越えるくらいの相当な調整は来ていました)した最後になったのではないかと思います。これは今になったからこそわかるんですけどね。
あれからもう4年近くも経つんだなと思います。
4SLDK+納戸+各部屋に収納から、今住んでいる2LDKに引っ越すために、20年以上分のものを処分しました。
物ばかりでなく、物を捨てるために観念や価値観も随分と切り替え&上書きしました。価値観を変えなければ捨てられなかったものが、文字通り山ほどあったからです。
期限があったので、変えざるを得なかったんですね。
あれから、仕事は2回変わって、今が最も日勤夜勤ともに負担少なく働けている職場です。本当にこれは有難い。
そして今が最も心が安定しているかも知れません。
不安(未来)に目を向け出すと底なしになるので、目を向けないようにしているだけですが(笑)
今を積み重ねる事が未来になっていくので、結局は今を見ることが1番安定するんですよね。
『人は、亡くなる時は必ず寿命なのだ』
と考えるようになったら、まだ来ていない未来を心配する必要があるのだろうか、と思うようにもなりました。
引っ越し大名から話が離れてしまいましたが、あの怒涛ももう随分昔のことになったんだなあと思います。
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