~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
かれこれひと月ほど、少しずつタイトルの事をやってます。少しずつですけどね、なるべく怠けずに。
過去のこだわりや悲しみ、痛み、ホントはこうして欲しかった、etc.がそのままだと、せっかく進んでも、どうやら過去に
『自然に』
『自分自身で』
『無意識に』
戻ろうとするようなので。
恐るべしホメオスタシス。
ひと月ほど前に、『やりたいことリスト』『本当はやりたかった事リスト』を、過去も含めて出してみたら400も出てしまって。
このひと月、過去のものに関しては
それらを1つずつ掘り下げたり、
今なら叶えられることを叶えてみたり、
いや、もうそこまでしなくてもいいやとなったり、
落としどころがあるかどうかを検討してみたり。
しています。
「取り残された過去の自分が納得する」というのはどうなることなのか、が内容としては多いですかね。
つまりはくすぶっているのを昇華させてあげるということです。
これは自分自身に関することなので、自分に対して騙しは通用しないんですよね。純粋だった過去(乳児〜少女時代)の自分が相手なので、大人の事情で納得させる事が出来ないのです。
当然、「今出来ること」はとっととやりながらです。
幼少時の『本当はこうして欲しかった、こうなりたかった』事は沢山ありましたが、その大元、根元になっているのはほぼ母が関係しています。
本気で私は母に憎まれていると思って育ちました。折檻された記憶ばかりが強かったし。
逆に父からは溺愛されたので、ものすごい極端でした。
でもこの年になって『あの時母がああだったから、私は…』なんて言っていたらあまりにも情けないし、そういう性分でもないので。
その時の気持ちをどう理解し、場合によってはどう追体験して、長年引きずり続けてきたものを昇華させればいいのかと。
そればっかりを考え続けたわけじゃないですが、(途中で意識下に投げたので)ある日閃きまして。
『私が母にして欲しくてしてもらえなかったことは、もしかしたら母もして欲しくてしてもらえなかった事なのでは?』
今現在も思い当たるところがあり、参考と裏付けのために母の鑑定盤を作りました。
可哀想なほどの、『母親との縁の薄さ』があり、私にもそれはあるのですが、私はまだ救いがあるのに対して、母のそれには救いどころを見つけるのが難しく、かなりキツイ凶数となっていました。
実は母は、3歳で産みの母を亡くしています。継母との関係もとても悪いことが、幼かった頃の私にも既によく分かりました。
3歳という甘えたい盛りに母を失い、甘える相手が居ないまま大人になって母になった。そんな感じだったのだと思います。
非常に厳しい躾を経て、私が中学に上がる頃には、ある意味大人として母の相談を聞いたりもしていました。
私の方は、【子供であるな】(=常に分別ある大人であれば存在してもいい)というものをずっと守り続けてきた。
まあそんな感じで、母が持って生まれたもの(母親との縁の無さ、愛情運そのものの薄さ、感情の不安定さ)、宿命的なものを鑑定盤を通して目の当たりにして、なんだか不意に『もういいや』という気になったのです。
多分母の方が、母親に関しての環境は私よりもずっと辛かっただろう。
愛情を知らず母になり、やがて分別がついた娘にその役を依存しなければ、この感情の不安定さではとても耐えられなかったのかも知れない。
『そうか、【もういいや】なんだね? じゃあこの件はこれで終わりにする?』
と自問してみて、
『いや、多分これを逃したら出来ない気がするから、これまで一度もしなかったことをしたい』
と答えが来まして、ちょうど母の誕生日が間近なのでそれを口実にあることをしてきました。
2年ほど前から、母の誕生日にちょっとしたお菓子などを買って持っていくようになりました。(去年は激忙しくて忘れてしまったんだけど)
実は、母の日などは、もう長年何もしていないんです。不愉快になるばかりだったので。
でも今年は、最近見つけた美味しいケーキ屋さんの焼き菓子を買って、それに短い手紙をつけて、電車で出かけました。
【お母さんがこの日生まれてくれたおかげで
私はこの世に生まれてくることが出来ました。
人生をありがとうございます。
誕生日おめでとう】
私の内面で長年のわだかまりに決着がついて、更にそんな手紙をお菓子の中に忍ばせている(ついでに少しだけお小遣いも)事なんて知らないはずなのに、何故か母は、
『産みの母の形見の指輪なの。私の指にはもう入らないから、私が元気なうちにあげる。もらってくれる?』
と、サファイアの指輪をくれました。
そんな指輪があった事も全然知りませんでした。
私が『過去・母カテゴリー』を整理したと同時に母もまた、『母親』を無意識に整理出来たのかも知れませんし、私の中で何かが動いたのに呼応して、母の中でも何かが動いたのかもしれません。
母は以前から『ナミに会えなくなるのが嫌だから死ぬのが辛い』というくらい私への依存が強く(これも鑑定盤を見るとわかる)、お互いのために距離を置いていたのですが、そしてある程度の距離を保つことはこれからも変わりませんが、あの母の姿は私の1部分でもあるんだなと今は思います。
『自分の周りの人間』は、それぞれが少しずつ、『自分のある1部分』を見せているんだなと。良くも悪くも。
そしてこの一連の出来事は、わずか3日の間の事です。意識の更に下に投げたことは、形になるとめちゃ速いわーとつくづく思います。
とにかくひとつ、と言っても最大のカテゴリー【過去・母】が、一段落。
相当エネルギー的に動いたと思われ。ああ、運動したみたいに疲れた。
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