~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
『いい塩梅』という、日本ならではの言葉がありますが、ここ何年かは、加速度的にそれが失われて行っているな、と実感します。
かつて梅雨というのは「雨がしとしと降る」ものでした。
ひと月くらいしとしと雨が降って、7月半ばくらいになると雷が鳴って、カラッとした夏になる。
その夏も、扇風機で凌げる、子供たちが原っぱで遊べる暑さ。クーラーは必要なかった。
…私が子供の頃は、梅雨や夏というのはそんな感じでした。
もちろん、土地によっては『水が上がる』というのは度々ありました。子供の頃は周囲に沼地が多く、よくザリガニ釣りをしましたが、つまりは土地が低いということで、水が上がると両親や大人たちが総出で排水に追われていたのをよく覚えています。
今のように排水が整っていなかったですから。
大人の膝の下辺りまで水が来て、沼地がありますから、ウシガエルがその辺を泳いでいた(笑)
今の人が卒倒しそうな衛生環境ですよ。よくぞ、破傷風にもならなかったものです。
そんな中で、子供達は育ち、大人達は子育てをしていました。
大人も子供も、たくましかったと思います。
父の実家が鹿児島なので、台風シーズンになるといつも九州の被害が気になりましたが、この数年のような酷い被害は、滅多になかったように思います。
私にも出来る予想というものがあり、実際、そのくらいの規模の台風が来ていました。近年までは。
毎年のように所々でこれ程大きな災害なんて、ここ何年かのことではないでしょうか。
台風も、以前とは比べものにならない大きさと勢力のものが発生するようになっています。竜巻も珍しいことではなくなりました。
豪雨や台風の災害を見ると、思い出す事があります。
その昔、仏教の法滅尽経というのを読んだことがありました。
『水干(干じゃなく、乾かも)(字が違っていたらすみません)整わず』
のところ。
つまり、水と日照り=気候が狂うということ。
他にも
『疫病が蔓延』
『人が魚や亀に喰われる』
…などという、かなり恐ろしい内容があったと記憶していますが、特に『水干整わず』は、まさにこの事だなと今、思います。
終末の予言書というのは世界中どこにでもありますが、これは日本版の終末の予言書と言えるのかもしれません。
だからと言って、
大変だ!!
終末なのか!!!
…ということではなくてですね。
本当に『人の手の及ばないこと』には、人は手の施しようは無いです。
でも、人にはできる事が思いのほかあると思うのです。
人の役に立たなくては、とか、人のために何かしなくては、世のため人のために、ということではなく。
(そんなご立派なこと、私も出来ませんわ)
ただ、人であるなら、いつまでも人でありたいと私は思うのです。
人であるとは?
それは、その人その人の内にあるものなわけですが。
//////////
↓セッションお申し込みはこちら