Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

からだの症状が女性性の否定・拒否につながっていた話

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◆プロフィール◆ - Harmonize 

~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~

 

 

覚え書きみたいなことです。

 

私の中には「自分が女性であること」を拒否するものがあるなぁとか、否定するものがあるなぁとか薄々は分かっていましたが…思っていたより全然根強かったです。

 

 

年単位で以前からあった症状が、忘れていることの方が多かったものが、特にここのところ自己主張するように強くなっていました。(と言っても、悪化というものでは無い)

『これは、単に【からだ】だけの問題ではなさそうだ』

というのがわかって内観をしてみたのですが…どうもわからない。

いや、わかるんだけど、そのラインよりももっと深いのが更にあり、掴めそうなんだけど、実体を掴めない、みたいな。

なので、体のその部分に聞いてみました。

 

『何を伝えたい? 何に気がついて欲しい? 何かあるよね? だから長い間、そこを通じて訴えてきているんだよね? でもわからないから、教えて欲しい。私にわかるように』

 

 

翌日、車を運転している時に、唐突にある幼少時の記憶が上がってきました。

 

私は幼少時に性的にとても不快な思いをしたことが、何度かあります。

そういうことのはじめの記憶が3〜4歳なので、もしかしたらそれ以前にもあったのかも知れないな、という気がしています。

 

「女であるが故にあんな目に遭った」

「男だったらあんな目には遭わなかった」

→だからこの性は、私の中に無いほうがいい。

 

多分そんな感じのもののようです。女性であるという自分の、強い否定ですね。

ただこれは、今初めて気がついたものではありません。前述のように薄々わかっていたことです。

 

「女であるが故にあんな目に遭った」

「男だったらあんな目には遭わなかった」

→だからこの性は、私の中に無いほうがいい。

 

それは大人になった自分が言葉にしている感情であって、当時ほんの3歳くらいの子供が、そこまで深い考えを持つはずはなく。

あの時何を感じていたのだろうと当時に遡ってみました。

 

 

・恐怖とは違う。←されていることの意味がわからなかったから

・羞恥?←でもやはり、されていることの意味がわからなかったので羞恥とも違う。でもひどく困惑はしたし、どうして? とも感じていた。

・裏切り?←なんと、それは通っていた幼稚園で起こったこと。他の園児の親族または他の園児の父親。安全な場所と信じていた幼稚園が実はそうではなく、信頼していた人が実は信頼に値する人ではなかった。という裏切り。

さらに言えば、信じたことでこういう目に遭った。

・屈辱?(ちょっと違うが、他にいい例えがない)←これが1番近いと感じました。軽んじられた。貶められた。という。

 

恐怖でも羞恥でもなく、幼心に、自分がものすごい軽んじられ貶められたのだというのを感じていました。

 

信頼し安全だと信じていた場所で、やはり信頼し安全だと信じていた人から裏切られ軽んじられ貶められた。

 

それは見ず知らずの人でしたが、園児の父親または関係者というだけで、3〜4歳児(少なくとも当時の私)にとっては信頼の対象でしかなかったのです。

他の子の父親(や親族)であっても、自分の父親と同じように当然信頼できる人であると。

それが、実はそうではなく、安全と思う場所は安全ではなく、信頼できると思う人は信頼してはいけない人だったのだ…と。

 

なぜその場で拒否の声を出せなかったのか、とも思いますが、『おとなしく従わなければいけない気がした』のですね。恐怖心からでは無く。

この頃には既に、『目上の者には従わなくてはならない』という価値観が出来上がっていたのでしょう。

 

 

特に口止めをされたわけでも無いのに親にそれを言えなかったのは、『いじめを受けている子が親に心配をかけまいと何も言わない』という心理に近いように思います。

 

その後(幼少時)の性的に不快な体験にも、『裏切り』『貶められる』が存在している事が結び付いていました。

 

これらの体験に関して、これまでは「単に怖かったのだろうな」と思っていたのですが、幼児だからと言って、必ずしも恐怖があったわけではなかったのですね。

この体験に関して恐怖を癒しても、ちょっとズレてしまっていたという事です。

 

そしてそれの何が問題だったのかというと、その後、私の(間接的にであっても、今すぐでなくても、性に関わって来ることでの)選択は間違いなくその信念が元になっていたことがはっきりわかりました。

 

これは間違いないと確信できます。

 

何故そういう価値基準を持っていたんだろう、とずっと不思議でしたが、腑に落ちました。

 

 

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そして。

自分で認めている。

『それの何が問題だったのかと言うと』

と、無意識に書いていますね…。

 

これまでの人生での選択の何割かは、その信念がベースになっていた。そのことを『問題だった』かもしれないと感じている。

 

つまりはこれまでの、「その信念から選択したことが間違いだったのかもしれない」と恐怖を感じているということ。

 

これは、【これまでの人生の否定】にもなるので、そりゃあ恐怖ですわね。若い時ならいざ知らず、この歳になっての人生の否定は、そりゃあ恐怖ですわ。

なるほど…。

 

だから長期にわたってこの症状を出していたのか…。ほとんど気に留めていなかったけど。

ちゃんと気に留めていたらもっと早く信念に気がつけたかもしれない。

でも、からだの声を聞けるようになったのはまだこの数年のことだし、時期というのがあったのでしょうね。

無駄なことはないと思っているので。

 

ここにきて症状が自己主張を始めたのは、

【まだそれを大事に持っていたいのか?】

【まだその信念に守ってもらわないといけないか?】

という事に気が付かせたかったのですね。そして、

【もうその信念を解いてもいい、その信念に守ってもらわなくても大丈夫な時期】

が来たからなのでしょう。

 

トラウマのエネルギーに手をつけるようになっていた事と、それ以来EDWで妙に子宮から抜けるエネルギーが増えていたことも大いに関係していると思います。

 

それにプラスしてからだの声を聞くことでより速く進んだのでしょう。

 

色んなことが繋がっていて面白いです。

 

 

 

 

 

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