~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
もうかなり前の話になりますが、当時勤めていたところに、90を過ぎた女性が入院していました。
入院すると認知症が進むかたは多いのですが、この方も例に漏れずあっという間に症状が進んでしまった。
その日、そのかたのお隣の女性の食事介助をしていた時のこと。そのかたは食事は自立だったのですが、急にスプーンの手を止めて言いました。
『今日は歌合戦があるの。何時からだったかしら。私の歌聞いてくれる? うまく歌えるかしら』
『あら、そうだったの。何を歌うの?』
『応援してくれる?』
『勿論応援するよ!』
そんなやりとりの後でその方が歌い始めたのが
【予科練の歌】
でした。
その方が歌い始めると、私が食事介助していた女性も一緒に歌い始めました。
もちろん私は知らない歌。歌詞の感じから戦時中の歌なのかな、くらいはわかりましたが。
2人揃って歌ってくれて、歌い終わった時に3人で思わず拍手。
『ごめんなさいね、知らない歌だった。なんていう歌なの?』
『よかれんのうた』
『ヨカレンノウタ?』
『これを歌って兵隊さんを送ったの。お別れの歌』
隣の女性も『そうそう』『ヨカレンノウタって言うの』と相づち。
普段は全くお互いに興味を示さないのに、この時はまるで示し合わせたように、一緒に歌っていたのがとても驚きでした。
別々のところで生きていたけれど、2人同じようにこの歌を歌って、出征する人を送ったのだなと、そして何十年も経って、同じ病室で隣同士、縁もゆかりもなかったはずなのに同じ歌を歌っているという不思議。
2人揃って歌っているその歌声が今も耳に残っています。
あの時は2人とも、若い頃に戻っていたのだろうな。
家に帰ってきて肝心の『よかれんのうた』という題名は忘れていたものの、「霞ヶ浦」「兵隊」「戦中」で検索したらこの歌がヒットして、聞いてみたらまさしくそれでした。
当時、大勢の人がこれを歌ったのでしょうね。
そういえばあの時も夏の暑い朝でした。
あの年代のかたには、『暑い夏』というのは終戦や戦争を連想させるのかも知れません。
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