〜〜エネルギーデトックスワーク 協会 認定上級セラピスト 1dayセミナー講師 現役看護師NAMIです〜〜
私はエネルギーって、巡るものだと思っています。
なので、
『情けは人のためならず』
ということわざがありますけど、あれは、
『情けをかけるのは人のためにならない』
という事ではなく、
『かけた情けは、巡り巡って帰ってくる』(←私は返るではなく帰るだと思う)
という事なんですよね。まあ、『情けがその人のためにならない』ということも、実際にはありますが。
情をかけたその人から返らなくても、いつかどこかで返ってくると。地球は丸いから、地球を一周して帰ってくるみたいな。時間も場所も関係なく。
時間も場所も関係なくというと、まさにエネルギーだなと思うのです。発したものは、帰ってくる。
元の文である
【「ほどこせし 情けは人の為ならず 己がこころの 慰めと知れ」
「我ひとに かけし恵みは忘れども ひとの恩をば ながく忘るな」】
から言うと、見返りを求めずに施す事だ、となりますけどね。
でも、そんなにガチガチに
『見返りを求めてはいけない!見返りを求めるのは邪道だ!』
みたいにならなくても良いのでは、と、個人的には思います。
例えば私はですが、こんな風に考えています。
わたしが将来、「自分で」大切な人達を助けてあげられなくなった時。あるいは直接的に助ける事ができない状況下において。
「過去に人にあげた情け」、それはわたしに巡る、のではなく、わたしの大切な人たちに巡っていくこともあるんじゃないかと。
過去わたしが誰かにあげた「情け」があるとします。
それが巡って、
例えばわたし亡き後、息子達に助けが必要になった時、もう助けられないわたしに代わって、誰かが息子の力になってくれる事もあるのではないかと。
例えば、大切な人が病に伏した時、駆けつける事ができないわたしに代わって、今わたしが仕事でしているように、誰かがお世話をしてくれる事もあるのではないかと。
例えば、大切な誰かが道端に倒れた時、わたしの代わりに、誰かが気付いて救急車を呼んでくれる事もあるのではないかと。
例えば、大切な人が悩んでいる時、誰かが代わりに気づきの手を差し伸べてくれる事もあるのではないかと。
ちょっとムシがいいと思われるかもしれませんが、わたしは、人にあげた情けは、自分にというよりも、むしろそういう形で巡るんじゃないかなと思うのです。
だって、「情け」=「情」=「愛」も、エネルギーだから。
なんとなくそれに気がついてからは、仕事で同 じことをするのでも、「未来の大事な人たちに向けて」エネルギー貯金? をしているような感じもしています。
「エネルギー貯金」するためにやっているわけではありませんが、でも、同じことをするのでも、これが大事な人の間接的な助けになるかもと思えば、また違った想いが生まれますよね。
だから、どんどん情けを周りにあげるといいんじゃないかなーと思います。
小さな事でも。いや、ちょっとした小さな事だからこそ。
もしかしたらその小さな情けが、積もり積もって、巡り巡って、いずれ大切な人たちを救う事があるのかも知れません。
自分がいなくなった後も。
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