先日の差し歯が取れた件その後。
ホントに罰ゲームだ、とは思ってませんでしたけどね(笑)←でも色々不便なのは事実
このところの「変化の大きさ」から言って、多分コレ(差し歯)が取れることでも何かあるんだろうなーとは思っていましたが、予想通りありました。
コレが取れることで「大量に取れるモノがあった」というのがね。
そもそもここを出口として、小学6年生あたりまでの色々なモノがギュッと押し込められていたようで。(感覚的にね)
経緯とか結果とかを詳しく書けないから、毎度ながら、読み手のかたには何のこっちゃです。スミマセン。
でも取れたモノが結構すごくて珍しく疲れたほどだったので、そのせいなのか、今回は他にも色々と思うこと(厚く覆い隠していたモノが取れて、カナメのところが見えるようになり、思えるようになったと言ったらいいのか…)がありました。
何かと言うと。
ものすごく手放すには抵抗のあることを、手放すように求められているということ。「そんな気がしている」んじゃないのですねー、外堀を埋められて来ているので。そうせざるを得ないように、そういう現象が起き続けているのです。
あ、念のために言っときますが、(ダークサイドがとるような)強制、脅迫みたいな手法では全く無いですよ。
気付かせることはして来ますし、道も見せて来ます。助言、質問という形で問われても来ます。
でも、決定権はあくまでも人間側、自分なんです。
今までは「うちのガイド、調整の鬼だなー」と軽く考えていましたが、そこまでの調整ができるガイドがいるということは、「調整して運ばなければいけないこと」があるからなのかも? と、今更ですが、気が付きました。
能天気に「ガイドすげー」と感心してばかりいられなかったという事です。
その過程においては、ある程度(以上)の手放しが不可欠という事かと…。
私、実は「手放す」って言葉が元々あまり好きじゃありません。なんだかフワフワしたイメージを持っていまして。
因みにこれは私の個人的な感じ方であって、他の方は他の方の感じ方があって、それでいいと思っています。
かと言って決別というと穏やかでは無いですけどねー。
断つ、というようなものとも違うけれど…つまりはそれだけの決断、覚悟を要するという事です。
私としてはかなりの決断にはなりますからね。
でも多分、今生で(これが最終目的では無いかも知れないけれど)これをやりにきたのか、あるいはそういう役目を誰かと約束して来たのかなと。
そうでなければこういう風に運ばれていく、ということ自体が起きないだろうなと。
まあとにかく。
これまでがっちり掴んで放す気もなかったもの。それが無い自分なんて想像も出来なかったものが、「必ずしも必要でなくなった世界もあるのだ」ということを、これでもかと『向こうから』見せられ続けているわけです。
「自分に丁度いいと思うことやタイミングは既に遅れている」
「自分の力よりも上だと思うことが、実は丁度いい」
「向こうから目の前に来ることを淡々とやるだけ」
が、ハイヤーやらガイドやら上の言い分ですね。
うーーー。
切り口を変えて考えてみよう。
↓フリーメールとハンドルネームで大丈夫です