~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~
・実はものすごく酷いことをされていたのに、「感覚が麻痺」していて、酷いこととは思えなくなっていた。
「そうなったのは自分にも原因があった」
「相手はいい人」
「そうしてしまったのは私」
というように、『酷いことをされた』という事を何とも感じないように、何ならその原因は自分=私が悪いとか、宗教的考えで「意味があって起きている」「乗り越えなければいけないこと」というふうに、まさに無意識で変換。
セッションで、「私は、そんな酷いことをされていたのか…」と、愕然とした。全くそういう意識がなかったので。
なぜそこまで「酷いことを酷いと思えなくなっていたのか」の理由は、のちに明らかになったわけだけど、重ねて言うけど、これがホントに寒気が来るものだった。
自力では太刀打ちできるはずがなかった。
それほど複雑で根が深く、強力なものだったので。よく辿り着いたなあと思う。
ただ、それもある種「生存するため」の、自分を守るためのものだった、ということね。
生存するために自分を麻痺させるって、なにも子供時代のことだけじゃないのね。
物理的に生きていける大人になっても「生存」するためーー多分、精神を守るためだったのか、あるいは自分の判断がおかしかったことを、どうしても認めたくなかったのかーーに自分の感覚を麻痺させる、というのは起きるものなんですね。
多分私の場合は、「自分を否定したくなかった」というのが大きかったんだろうなあ。
だから、当時何度も酷いことをされたにも関わらず、そうと感じないようになったわけだけど、その陰で、「その当時の私」=「酷いことをされたとわかっている方の私」は、無いものとされて、深く沈められた。

この私の怒りがとても大きいものだった。
たぶん、酷いことをされた時に表の私がちゃんと怒って、何なら暴れていたら、こんなすごいトラウマは生まなかったんだろう。
ここまで長い年月にわたって、縛られ続けることもなかったんだろう。
セッションから一晩明けて。
「実はまだ、酷いことをされていた」
ということがわかった。
これは、先に上げたことから何年か後になるけれど、カラクリがわかってしまうと、同じ根を持つものだった。
「ああ、あれも、怒るべきことだったんだな」
とわかった。
で、朝早くから、処分できるものはどんどん処分。無い方がいいと思いながらも、処分出来ないものもあったのね。
ずっと引っかかって、でも存在感はバカデカかったものが抜け落ちた。
これも、『悪いのは自分の方』とナチュラルに思っていたんだよねえ。
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