あなたはいつまでストレスの種を育て続けますか? - Harmonize
具体的な「データ」から見ると「A」となる可能性は低いと思われることでも、
自分の感覚ではそのデータとは逆のカンが働き、「根拠はないけれど、可能性としてはかなり低いけど、Aになりそうだ」というものがあったとします。
そして実際に少し後になってみると、自分の感覚の方が確かだった、という事が度々起こるようになっています。
その時にはわからないんですけどね。
後になって「ああ、何かしら感じ取ったんだな」という事だと思います。
初めは単なる偶然かなと思っていましたが、どうもそうではないらしい。
仕事柄データを重要視するので、(仕事では感覚よりも、客観的・科学的に見てどうかによって行動の仕方が変わります。当たり前ですが)これはなかなかカルチャーショック的でもあります。
「ないでしょう、今それは」
という客観的事実に基づく予測がこれまで自分にとっての行動の根拠だったのが、
それに反する感覚、
「いや、客観的事実からは外れているけど、ありそうだな」
というものの方が本質を捉えていた、というケースが増えてきているという事なので。
ただし増えているとは言っても、当然、割合的には全然少ないですが。
勿論基本は「今ある客観的事実」が行動の中心である事は変わらないですが、
一方で「感覚」も加味して行動する事がこれから必要になるのかも知れないな、と。
それが一種の危機管理にも役立ちそうだなと。
(どうしてもこういうのはぼかした書き方になるので、読んでも分かりづらいかも知れませんね)
他の人にはなかなかわからないだろうし、感覚である以上、根拠を示しての説明が出来ないことでもあるので…この点が難しいところではありますが。
ただ、これまでの行動様式はそのまま保ちながらも、そういう目を「あくまでも補助的に」使う事で、未然に防げたり早い対処に繋がる事は確実に出てくるでしょう。
それに偏るのではなく、補助ツール的な使い方ですね。
使い方によってはかなり役に立つなと思います。