~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~
今生だけではなく、
これまでの生で必ず、私は自己犠牲を旨としてきました。今生でも思いっきりその道が用意されていました。(用意されていたというか、自分でそっちを選び続けてきた)
人生も折り返しを過ぎたところでその「縛り」の存在が見えてきて、私自身が「もうそれ、お腹いっぱいだから要らない」と決めて色々取り組んできたここ数年。
過去生の私だったら、というか、縛りを知らないままの私だったら、間違いなく、縛りが用意した方へ行っただろうなあ
……ということがあります。
なぜ分かるかというと。
「間違いなく自分にとっての大きな負担になる」
とわかっていても、そちらへ行きたくて仕方なくなるからです。
そちらへ行かないことで、もの凄い罪悪感に駆られ続けているからです。
かろうじてその罪悪感に取り込まれずにいられるのは、「そっちへ行ったら、ほぼ確実に息子たちに縛りの“呪い”が行く」と分かるから。
呪いというとおどろおどろしいですが、私にとってそれはもう、呪いよりも強いもの。
ちなみに、よく映画で出てくるような呪いとは、かなり違いますよ。でもいくつもの生を跨いでずっとあり続ける縛りなんて、呪いでしかないのですよ。当人にとっては。
それがたとえ、過去生でのどんな崇高な目的が生んだものであっても、どんな聖人君子に傾倒したものであってもね。

これが自分だけに被さることだったら、今頃とっくに、罪悪感に負けてまたそっちへ進んでしまったかも知れないなあ。
自分の縛りの影響は自分のところまでにしたいから、どうにか踏ん張れている。
そしてこっちを選び続けていることに、些かの迷いもない。
ただ、自己犠牲を選ばないことでの罪悪感がきつい。自己犠牲を選んでしまえば、この罪悪感は消えるけど、その代わり差し出すものがあまりにも大きすぎる。
そうすることで今生もまた、繰り返しになるかと思うとね。やっぱり踏みとどまるしかないわね。
それ以外の選択肢はもうないからね。
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